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自給自足
じきゅうじそく |
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作家
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作品
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坂口安吾 |
【明日は天気になれ】
われわれはそれをよそのお庭まであちこち追っかけて二、三羽眠ったやつを捕えたが、眠るというよりも、死んでしまう。小さいスズメはゴハン一ツブにタップリまぶした粉末でも十分に致死量らしく、口から白いものを吐いて死んでしまうのである。大の男がよその庭を毎日スズメを追っかけて走り回るわけには行かないから、すくなくとも催眠薬でスズメをとらえるには、雀が食い逃げしてもなお自分の庭のうち、というだけの広い庭が必要で、ところがそういう広い庭があるほどなら何でも自給自足できて、雀を追ッかける苦労なぞは必要なしというものだ。
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與謝野晶子 |
【初島紀行】
島の戸數は現在四十一戸です。以前は四十三戸であつた相です。それ以上殖やすことの出來ない不文律が昔から行はれて居て、二男以下の子女はすべて他國へ行つて職業を求めます。島の土地が其等の人口を養ひ得ないからです。土地は昔から四十餘戸へ殆ど平分されて居て、その耕作は共同的であり、相互扶助の理想が自然の必要から實現されて居ます。食料と薪炭とは米を除いて自給自足の状態を繼續して居ます。米は夏期の雨が乏しいために陸稻さへも出來ません。夏は乾燥して露さへも全く降らないと云ひます。
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寺田寅彦 |
【日本人の自然観】
地殻的構造の複雑なことはまた地殻の包蔵する鉱産物の多様と豊富を意味するが、同時にまたある特殊な鉱産物に注目するときはその産出額の物足りなさを感じさせることにもなるのである。石炭でも石油でも鉄でも出るには相応に出ても世界で著名なこれらのものの産地の産額に匹敵するものはないであろう。日本が鎖国として自給自足に甘んじているうちはとにかく世界の強国として乗り出そうとする場合に、この事実が深刻な影響を国是の上に及ぼして来るのである。それはとにかくこのようにいろいろのものが少しずつ備わっているということがあらゆる点で日本の自然の特色をなしているとも言われなくはない。
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宮本百合子 |
【婦人と文学】
「社会主義をとりあつかった文学は、永遠性がないからいけない」(一九二一年)といった武者小路実篤は、当時「新しき村」をはじめた。人間同士が兄弟姉妹として強制のない協力生活を営み、各自がその肉体にふさわしい条件で一個の労働者としての技量を見につけ、自給自足し「個人が自由をたのしめる独立人として生きられる世界は一番いい世界」をもち来すために、「先ず自分の心がけも生活も労働もその社会にふさわしいものにし」ようと、「人間生活の研究処」としての村をはじめたのであった。
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岡本かの子 |
【母と娘】
イボギンヌの叔父夫婦の家は町から少し離れた東の方の村に在ります。私は此所へ来て色々の原始的生活のようなものを見聞するわ。此所では住民は一つの共同の井戸を中心に五・六軒から十二軒ずつ集まって部落を形成して居ります。井戸の大きい程、金持の家が多く、金持程多数(と言っても三四人)の子供を養育して居ます。彼等は葡萄を栽培して葡萄酒を造るのと小麦と牧畜で自給自足するばかりか多量の葡萄酒と小麦をフランス国中へ売りさばくのです。其の利益金の三割は必ず金貨にして床下に埋めて在る
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戸坂潤 |
【イデオロギーの論理学】
論理は常に存在への道に過ぎない。理論をしてこの道を歩ましめる動力は無論、その目的である存在の内にあるのであって、論理は却って理論が通過した痕跡に過ぎないであろう。痕跡はただ、後から観想し得るだけである。それ故人々が論理を観想的に取り扱うことによって之を反省する時、初めて論理は自給自足の動力を有った整然たる遊歩道となり、所謂独立化して来るのである。
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島崎藤村 |
【夜明け前 第二部下】
しかし、お民はお民なりに、この娘を励まし、一方には強い個性をもった姑との間にも立って、戸長免職後の半蔵を助けながら精いっぱい働こうと思い立っていた。以前にお民が |
柳宗悦 |
【工藝の道】
工藝時代を回顧すれば、作品は三段の変化を受けた。第一は自製自用の時代である。交通の開けない時においては必然に何事も自給自足であった。自家の用途が作の動機である。だが人口が群集し分業が進むにつれ、漸次注文生産に移る。したがって工藝は一家より出でて一地方に広まる。需用は技を進めた。そうして信用は自ら器物に健実と耐久とを求めた。
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中里介山 |
【大菩薩峠 恐山の巻】
「そこで、この胆吹王国では、どうも少しむずかしい言葉なんですけれど、人間が絶対に統制されるか、そうでなければ絶対に解放されるんだと、関守さんも申しておりました」「うむ、なかなかむずかしい」 「それにはまず、ここに住む人たちがみんな、自給自足と言いまして、生活は直接に土から取って、人に衣食をさせてもらわないこと、人に衣食をさせてもらいさえしなければ、人間が人間に屈従しなくてもよろしい、ですから、ここに集まる人は、自分で自分の食べることだけはしなければならない、それが自由にできるようにして上げるのだそうです」 |
吉川英治 |
【日本名婦伝 大楠公夫人】
衣服もここらの在所の女房たちが着る粗末な物と変らないのを戦場の寺住居ではあったが、空地には、桑畑もあり |
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