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常住坐臥
じょうじゅうざが |
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作家
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作品
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夏目漱石 |
【坑夫】
自分がその時この坑夫の言葉を聞いて、第一に驚いたのは、彼の教育である。教育から生ずる、上品な感情である。見識である。熱誠である。最後に彼の使った漢語である。―― |
坂口安吾 |
【保久呂天皇】
保久呂湯の泊り客に盗難があったことは以前はあった話であるが、この部落の民家へ泥棒がはいったことは近年ついぞ聞いたことがなかった。しかし泥棒は存在する。この部落の誰一人安心できない。東京のスリと同じことだ。彼は剣客と同じぐらい常住坐臥ユダンしたことはなかったのである。しかし、まさか七ツの子供が彼をおびやかすとは思ってもみなかった。七ツの子供の言葉の背後に控える厳たる暗黒世界の実在が彼の脳天をうったのである。
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林不忘 |
【魔像 新版大岡政談】
というのは、わが魚心堂先生は、いつもこの釣竿を離したことがない。 それほど |
外村繁 |
【日を愛しむ】
人間は誰でも彼奴に見られているのに違いない。ただ多くの人はそれを意識しないだけである。素子ももとより自ら求めて意識しているわけではなかろう。意識しないわけにはいかないのである。しかしあんな奴の視線を常住坐臥に意識していなければならないとすれば、たまったものではない。
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木村荘八 |
【立見の金網について】
一体ひとにしてもさうである。エライ人の肖像なども、正面向きの像には先づ事欠かないと思ふが、側面、背面は、残りにくい。故人を写したパテー・ベビーでもあれば格別のこと――その服装もよそ行きのなりは、これを偲ぶ手がかりが多からうとも、常住坐臥、始終うちでどんななりをしてゐたか、といふやうな点は、記憶も文献も、湮滅しやすい。
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豊島与志雄 |
【表現論随筆】
講談本を読むと、剣客物などで、一流一派に秀でたその道の達人は、如何に腰の曲ったよぼよぼの老人でも、一度剣や木刀を手にする時には、腰は伸び足は大地に根を下し、人の肺腑を貫く気合の声が出る。大抵みなそうである。そして、これはまさにそうすべきである。然し、その老人が本当に一流の達人ならば、剣や木刀を手にしなくても、常住坐臥の姿に於て、特殊の感銘を人に与える筈である。それを単なる老人と見るのは、子供の眼に過ぎない。 なぜなら、私の観るところでは、芸の妙諦は体得にある。云い換えれば、一芸一能に秀でた者は、その一芸一能を、おのずから自分の身につけて、それが一の風格とまでなっている。 |
吉川英治 |
【宮本武蔵 火の巻】
まだ妻はないが、武蔵にも通有性の悔いがある、煩悩がある、彼はすでに、この家を訪ねて来たことを後悔するのだった。(おれにはまだ、縁を 「そうだ、書いておこう」 なにを思いついたか、彼は常住坐臥、肌身を離さずに持ち歩いている武者修行風呂敷を解きはじめた。 ――その頃、この家の門の外に立って、ほとほとと、そこを叩いている |
永井荷風 |
【妾宅】
さて文壇からは引続き歓楽に哀傷に、放蕩に追憶と、身に引受けた看板の
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