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盛者必衰
じょうしゃひっすい
しょうじゃひっすい
しょうしゃひっすい
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作家
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作品
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【大菩薩峠 安房の国の巻】
ところもあまり遠からぬ法恩寺の長屋に居候をすることになった弁信は、毎夜、琵琶を掻き鳴らして江戸の市中をめぐります。清澄にいる時分、上方から来た老僧から、弁信は平家琵琶を教えてもらいました。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰
の理をあらはす……」
もとよりそれは本格の平家でありましたけれど、門付けをして歩いて、さのみ人の耳を喜ばすべき種類のものではありません。だからこの盲法師をつかまえて、銭を与えようとする人は極めて乏しいものです。ただでも耳を傾けようとする人すら、極めて少ないものでありました。
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【瀧口入道】
苟も身一門の末葉に連れば、公卿華胄の公達も敢えて肩を竝ぶる者なく、前代未聞の榮華は、天下の耳目を驚かせり。されば日に増し募る入道が無道の行爲、一朝の怒に其の身を忘れ、小松内府の諫をも用ひず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽の北殿に押籠め奉り、卿相雲客の或は累代の官職を褫れ、或は遠島に流人となるもの四十餘人。鄙も都も怨嗟の聲に充ち、天下の望み既に離れて、衰亡の兆漸く現はれんとすれども、今日の歡びに明日の哀れを想ふ人もなし。盛者必衰の
理とは謂ひながら、權門の末路、中々に言葉にも盡されね。父入道が非道の擧動は一次再三の苦諫にも及ばれず、君父の間に立ちて忠孝二道に一身の兩全を期し難く、驕る平家の行末を浮べる雲と頼みなく、思ひ積りて熟世の無常を感じたる小松の内大臣重盛卿、先頃思ふ旨ありて、熊野參籠の事ありしが、歸洛の後は一室に閉籠りて、猥りに人に面を合はせ給はず、外には所勞と披露ありて出仕もなし。然れば平生徳に懷き恩に浴せる者は言ふも更なり、知るも知らぬも潛かに憂ひ傷まざるはなかりけり。
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【新釈諸国噺】
二人は、その夜のうちに七里歩み、左方に博多の海が青く展開するのを夢のように眺めて、なおも飲まず食わず、背後に人の足音を聞くたびに追手かと胆をひやし、生きた心地も無くただ歩きに歩いて蹌踉とたどりついたところは其の名も
盛者必衰、是生滅法の鐘が崎、この鐘が崎の山添の野をわけて次郎右衛門のほのかな知合いの家をたずね、案の如く薄情のあしらいを受けて、けれどもそれも無理のない事と我慢して、ぶしつけながら、とお金を紙に包んで差し出し、その日は、納屋に休ませてもらい、浅間しき身のなりゆきと今はじめて思い当って青く窶れた顔を見合せて溜息をつき、お蘭は、手飼いの猿の吉兵衛の背を撫
でながら、やたらに鼻をすすり上げた。
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【源之助の一生】
立役と違って、女形は年を取ってはいけませんと、梅幸は述懐していたが、源之助も女形であるために晩年の不遇が更に色濃く眺められたらしい。最近五、六年は舞台に出ているというも名ばかりで、あってもなくても好いような取扱いを受けていたが、彼は黙って勤めていた。いっそ隠退したらよかろうにと思われたが、やはり舞台に出ていることが好きであるのか、あるいは経済上の都合があるのか、彼はとうとう仆れるまで、舞台の人となっていた。
盛者必衰は免かれ難い因果とはいいながら、団菊左の諸名優を相手にして、「弁天おてる」や三千歳を演じていた青年美貌の俳優が、こうした
蕭条の終りを取ろうとは――。私も自分の影をかえりみて、暗い心持にならざるを得ない。
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Last updated : 2024/06/28