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十年一日
じゅうねんいちじつ
じゅうねんいちにち
長い年月の間、ずっと同じ状態にあること。
作家
作品

夏目漱石

【吾輩は猫である】

「何か無礼な事でも申しましたか、むかしから頑固がんこな性分で――何しろ十年一日のごとくリードル専門の教師をしているのでも大体御分りになりましょう」と御客さんは ていよく調子を合せている。
 このあくびがまたくじら遠吠とおぼえのようにすこぶる変調をきわめた者であったが、それが一段落を告げると、主人はのそのそと着物をきかえて顔を洗いに風呂場へ出掛けて行った。待ちかねた細君はいきなり布団ふとんをまくって夜着よぎを畳んで、例の通り掃除をはじめる。掃除が例の通りであるごとく、主人の顔の洗い方も十年一日のごとく例の通りである。先日紹介をしたごとく依然としてがーがー、げーげーを持続している。やがて頭を分け終って、西洋 手拭てぬぐいを肩へかけて、茶の間へ出御しゅつぎょになると、超然として長火鉢の横に座を占めた。

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太宰治

【炎天汗談】

自分では絶えず工夫して進んでいるつもりでも、はたからはまず、現状維持くらいにしか見えないものです。製作の経験も何もない野次馬たちが、どうもあの作家には飛躍が無い、十年一日の如しだね、なんて生意気な事を言っていますが、その十年一日が、どれだけの修業に依って持ち堪えられているものかまるでご存じがないのです。権威ある批評をしようと思ったら、まず、ご自分でも或る程度まで製作の苦労をなめてみる事ですね。
 どうも暑いですね。こんな暑い日にはいっそドテラでも着てみたら、どうかしら。かえって涼しいかも知れない。なにしろ暑い。
――「芸術新聞」昭和十七年八月――

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織田作之助

【木の都】

 その善書堂が今はもうなくなつてゐるのである。主人は鼻の大きな人であつた。古本を売る時の私は、その鼻の大きさが随分気になつたものだと想ひ出しながら、今は「矢野名曲堂」といふ看板の掛つてゐるかつての善書堂の軒先にたたずんでゐると、隣の標札屋の老人が、三十年一日の如く標札を書いてゐた手をやめて、じろりとこちらを見た。そのイボの多い顔に見覚えがある。私は挨拶しようと思つて近寄つて行つたが、その老人は私に気づかず、そして何思つたか眼鏡を外すと、すつと奥へひつこんでしまつた。私はすかされた想ひをもて余し、ふと矢野名曲堂へはいつて見ようと思つた。区役所へ出頭する時刻には、まだ少し間があつた。

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泉鏡花

【三枚続】

歌人うたびとが自分で深くおもんぱかり、すべて婦人の弟子に対する節は、いつもそのべに白粉おしろいかんざし、細い手、雪なすうなじ、帯、八口やつくちあふれるくれないつま帯揚おびあげ工合ぐあいなどに、うっかりとも目の留まらぬよう、仰向いてまなこを塞ぐのが、因習の久しき、ついに性質となったのである。もっとも有数の秀才で、およそ年紀とし二十はたちばかりの時から弟子を取立てた。十年一日のごとく、敬すべき尊むべき感謝すべき心懸けであるから、音楽に けたる鴨川夫人が、かつて弟子のうちの一にんであったことをもって、ごうも先生の品行をあやしんではならぬ。

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岸田國士

【最近の戯曲について】

 が、それにしても、劇文学がまつたく舞台をはなれて進化の道を辿るといふことは、凡そ例外的な事実であつて、現在の演劇をこのまゝ赴くところに赴かせたら、新作家は、これに妥協して中途半端な職業作者になるか、或は、劇作の筆を擲つか、さもなければ、十年一日の如く、「雑誌戯曲」の無理な製作を続けて、辛うじて文壇の仲間入りをすることに甘んじなければなるまい。近頃では、その「雑誌戯曲」に頗る見るべきものが現はれはじめたのを私は面白いことだと思ふ一方、この作家たちが、どこまで頑張るかをみるのが楽しみだ。

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宮本百合子

【いのちの使われかた】

 男女が平等ということは、同じ労働に対し同じ賃金ということを当然約束しているけれども、これまでの日本の実状では、同じ職場で同じ部門に働いている男女が必ずしも同じ程度の腕をもっているとは云えない。女は、これまでじきやめてしまうもの、やすいから男の代りに使うものとしてつかわれて来たのだから。きょうの若い勤労婦人は、自分たちの人間らしい生活という考えのなかに、だれでも、仕事の上での発展の希望を加えていると思う。十年一日のような、見とおしのない、あてがい仕事を苦しく思っている。では、その希望を実現するために、事務技術の向上、または専門関係の知識を深めるために、講習をうけるとして、さて、時間の関係はどうだろう。

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牧野信一

【なつかしき挿話】

 僕は特別に記憶の好い性質ではない、寧ろ健忘性に属する方だ。その上僕も相当に数々の芝居を観てゐるが、この四五年の間で、特に印象に残つてゐるものを数へようとすると屹度この二つが、現れて来る。「魔笛」はあんな理由で、問題外だが、吉井氏の数々の戯曲で僕が何時も印象づけられるのは、その扱ふところの「友情問題」である、親んでも、争ふても結局何うすることも出来ない友と友との間の吉井氏が扱ふ詩情豊かな寂光土に僕は十年一日の如く甘美な酒の陶酔感を得る。
 月々執筆されてゐる「第一次スバルの回想」等も僕は月々愛読してゐる。

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寺田寅彦

【蓄音機】

 これはおそらくだれでも知っている事であろうが、あまりに教育というものを系統的科学的従って機械的な研究の対象とする場合にややもすれば忘られがちな事である。一度これを忘れればすべての教育は蓄音機や活動写真で代用する事ができるようになると同時に、教育の効果はその場限りの知識の商品切手のようなものになる。生徒の生涯しょうがいを貫ぬいてその魂を導き引き立てるような貴いありがたい影響はどこにもなくなるだろう。
 十年一日のごとき講義をするといってよく教師を非難する人が往々ある。しかしそれだけの事実では教師の教師たる価値は論ぜられないと思う。講義の内容の外見上の変化が少なくともその講義の中に流れ出る教師の生きた「人」が生徒に働きかけてその学問に対する興味や熱を鼓吹する力が年とともに加わるという場合もあるかもしれない。】

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永井荷風

【断腸亭日乗】

九月三日。

午後金沢の今村君来り訪はる。其の令嬢今年二十二歳となり洋行したしと言居らる由を語らる。余徃年今村君と米国の各地を漫遊せし当時の事を思へば夢の如き心地す。世の親達は娘子供の事に心を労せらるゝに、余のみ十年一日の如く、苦労は唯何か面白きもの書きたしといふに過きず。喜ぶべきか悲しむべきか。日の暮るゝを俟ち銀座の風月堂に案内して倶に晩餐をなす。夜半大雨あり。

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Last updated : 2024/06/28