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十人十色
じゅうにんといろ
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作家
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作品
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【くだもの】
○くだものの嗜好 菓物は淡泊なものであるから普通に嫌いという人は少ないが、日本人ではバナナのような熱帯臭いものは得食わぬ人も沢山ある。また好きという内でも何が最も好きかというと、それは人によって一々違う。柿が一番旨いという人もあれば、柿には酸味がないから菓物の味がせぬというて嫌う人もある。梨が一番いいという人もあれば、菓物は何でもくうが梨だけは厭やだという人もある。あるいは覆盆子を好む人もあり葡萄をほめる人もある。桃が上品でいいという人もあれば、林檎ほど旨いものはないという人もある。それらは十人十色であるが、誰れも嫌わぬもので最も普通なものは蜜柑である。かつ蜜柑は最も長く貯え得るものであるから、食う人も
自ら多いわけである。
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【創作家の態度】
毎日同じ時間に同じ所を散歩をする器械のような男でしたが、この老人が外へ出るときっと杓子を拾って来る。もっとも日本の飯杓子のような大きなものではありません。小供の玩具にするブリッキ製の匙であります。下宿の婆さんに聞いて見ると往来に落ちているんだと申します。しかし私が散歩したって、いまだかつて落ちていた事がありません。しかるに爺さんだけは不思議に拾って来る。そうして、これを叮嚀に室の中へ並べます。何でもよほどの数になっておりました。で私は感心しました。ほかの事に感心した訳でもありませんが、この爺さんの世界観が杓子から出来上ってるのに尠なからず感心したのであります。これはただに一例であります。詳しく云うと講演の冒頭に述べたごとく十人十色で、いくらでも不思議な世界を任意に作っているようであります。中にもカントとかヘーゲルとかいう哲学者になるととうてい普通の人には解し得ない世界を
建立されたかのごとく思われます。
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【夜明け前 第二部下】
今は旅そのものが半蔵の身にしみて、見るもの聞くものの感じが深い。もはや駕籠もすたれかけて、一人乗り、二人乗りの人力車、ないし乗合馬車がそれにかわりつつある。行き過ぎる人の中には洋服姿のものを見かけるが、多くはまだ身についていない。中には洋服の上に羽織を着るものがあり、切り下げ髪に洋服で下駄をはくものもある。長髪に月代をのばして仕合い道具を携えるもの、和服に白い兵児帯を巻きつけて靴をはくもの、散髪で書生羽織を着るもの、思い思いだ。うわさに聞く婦人の断髪こそやや下火になったが、深い窓から出て来たような少女の袴を着け、洋書と洋傘とを携えるのも目につく。まったく、十人十色の風俗をした人たちが彼の右をも左をも
往ったり来たりしていた。
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【俺の記】
「貴様は、風を引かないのを得意として居るけれ共、抑、世人皆風邪を引かざる時は、風邪薬屋は如何せんだ。貴様はドダイ個人主義だからだめだ。二十世紀は、社会(全体)主義でなくてはいかんよ。世の中は、一本立では遂になる能はず、寄りつ寄られつ、吹きつ吹かれつ、と云ふ処で以て社会あり、国家有焉さ。貴様には、自分の睾丸より外には無い物と思つてるからいかん。凡て、社会(全体)主義なるものゝ有難さを、君等見たいな個人主義者に、例を以て示してやらう」、「成可くなら食物の例でたのむよ」と、白頭が茶化す。「え、黙つて居ろ。君等も十人十色と云ふ事位は知つて居るだらう。要するに、十人十色とは「異」と云ふ事を通俗的に云つたものだ。「異」とは、即「異」で有つて「異なれり」だ。凡そ宇宙間に同じ物は一つもない。なに有る、何だつて、君と大頭とは同じ物だつて、よせ、馬鹿野郎!」白頭は笑ひながら曰くさ「それは笑談だが、実際、僕は有ると思ふ。近い処が、男と女とは同じものだ。夜と昼、天と地、美と醜、君の財布と俺の財布などは、皆同じ物だ。
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【方言について】
私は方言の専門的研究家ではないが、人一倍その魅力に惹きつけられる。十人十色といふ言葉は、人間の個性は個々に色別し得ることを指すに相違ないが、同一国語を使ふ同一国土の中で、地方々々に特有の言語的風貌といふものがあり、それぞれ、その地方に生れ、育ち、住む人々の気風を伝へることに於いて、これくらゐ微妙で、正直なものはない。
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【学位について】
さて、それほどに事柄が明白ならば、一体どうして、そんな不祥な問題が発生し得るか。価値のあるものなら通過し、ないものは通過しないと決まっているのなら、私利私情などというものの入り込む余地はないではないかということになる。正にその通りである。それだのに実際上は事柄がその通り簡単にゆかないのは何故かというと、それは論文の「価値」というものの批判が非常に複雑困難なものであって、その批判の標準に千差万別があり、従って十人十色の批評者によって十人十色の標準が使用されるから、そこに批判の普遍性に穴があり、そこへ
依怙の私と差別の争いが入り込むのであろう。
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【東京文壇に与う】
どうせ、文学に対する考え方なぞ、人生に対する考え方とおんなじで、十人十色であり誰の作品にしろ、作者が意気ごんで待ち構えているほどには、いいかえれば、作者が満足する程度に、理解されることなぞ、まかりまちがっても有り得ないのであるから、なにも大阪的な作品が東京文壇に理解されないといって、悲しむにも当らないのであるが、しかし、大阪に対するある種の感情が理解を阻んでいるとすれば、いや、そう言われてみれば、「単なる」にしても、とにかく一つの「不幸」として考えられないわけではない。
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【懷疑思潮に付て】
一般に、仝一名稱を標榜して居る多數の思想は、顯正の方面に於ては一致が困難であつても、破邪の方面に於ては大體一致して居ることが多い。殊に新生の主義の場合に於てさうである、「プラグマティズム」などが積極即ち顯正の方面の意見に於ては十人十色であるけれども、その目指す敵は何であるかといふ點に於ては大體一致し得る樣に思ふ。如何なる風潮に反抗して起つたかといふ點に於ては大體一致して居る樣に思ふのであります。自然主義も亦たさうである。積極的の藝術觀人生觀に於ては十人十色であるが、消極の方面に於ては其間に共通の傾向が明かに認めらるゝのである。
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【千世子】
一廻りして下に下りた。千世子は何にもわだかまりのない様なカラッとしたかおっつきをして四方のものをすばしっこくながめ廻した。ほんとうを云えば斯うやって歩いて居ると云うよりもあんなひがんだ心持で自分の心を一寸の間でも不愉快にさせた源さんにかたきうちをしてやるのがうれしかった。三人は広っぱを小さく一っかたまりになって歩きながら、
「随分俗っぽいところですネエ」
「あの家並の茶屋に黄色い声でほざいてる女達がよけいに気に入らないじゃあありませんか」
「あの声につられるマットン・チョップ(間抜もの)もあるんですかネエ」
「案外なものですよ、 十人十色世間は広いんですから」
「又時間をつぶして来ようとは思えないところですわネエ、そうじゃあない?」
「すきずきですよ、すきな人もないではありますまい、キット、君は?」
「サア、すきませんネ、こんなところ、二度と来るもんですか」
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【人間生活の矛盾】
世の中には未だ生物進化論と自然淘汰説とを混同している人さえある。生物進化論とは生物の各種は長い間には次第に変化するもので、後の子孫に比べると初めの先祖は大いに違うていたと唱える論であるが、このことは今日ではもはや確かな事実として知られ、後日に至ってまた覆されるようなことはけっしてない。アメリカのある州では昨年の春から、これを学校で教えることを禁じたが、ちょうど地動説を教えてはならぬというのと同じで、いずれも事実である以上は、とうてい押え通すことはできぬ、生物進化の事実を知るに至ったのは、生物学が次第に進歩し来った結果であるから、誰の説などと名づくべき性質のものではないが、自然淘汰説の方はこれと違い、生物進化の事実の因って起る理由を説明するためにダーウィンが考え出した説であるゆえ、これはダーウィン説と称して差支えはない。十人十色というて人の考え方は一人一人で違うから、ダーウィンの説に対して反対の考えを持ち自説を発表する人も無論あるわけで、実際今日までに幾人もあった。しかし、かような学説がいくつあって、互いに相戦うていても、またその中のどれが勝って、どれが敗けても、生物の進化という事実に何の影響も及ぼさぬはいうまでもない。
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Last updated : 2024/06/28