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四苦八苦
しくはっく
作家
作品

夏目漱石

【草枕】

 またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚うつつのままで、この世の呼吸いきを引き取るときに、枕元にやまいまもるわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、 生甲斐いきがいのない本人はもとより、はたに見ている親しい人も殺すが慈悲とあきらめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何のとががあろう。眠りながら冥府よみに連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命をはたすと同様である。

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芥川龍之介

【地獄変】

「よう見い。それは予が日頃乗る車ぢや。その方も覚えがあらう。――予はその車にこれから火をかけて、目のあたりに炎熱地獄を現ぜさせる心算つもりぢやが。」
 大殿様は又言を御止めになつて、御側の者たちにめくばせをなさいました。それから急に苦々しい御調子で、「その内には罪人の女房が一人、いましめた儘、乗せてある。されば車に火をかけたら、必定その女めは肉を焼き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるであらう。その方が屏風を仕上げるには、又とないよい手本ぢや。雪のやうな肌が燃え たゞれるのを見のがすな。黒髪が火の粉になつて、舞ひ上るさまもよう見て置け。」

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坂口安吾

【街はふるさと】

「青木夫人礼子さんが別居して鎌倉の実家にいるが、ぼくも鎌倉だから時々会うが、金に困って、気の毒な状態だね。君から、なんとかしてやれないだろうか」
「なんとかッて、どんなことを。そして、何かしなければならないワケが、ぼくにあるのかい」
 海野はムッとした様子だが、親友のために私憤を殺しているらしく、にわかに物分りのよい顔をして、
「実は青木が、これは又、猛烈な四苦八苦なんだよ。あらゆる事業がおもわしくない」
「手広くやりすぎたのだよ。戦後のバカ景気がいつまで続くわけがないということを、ずいぶん云ったんだが、うけつけようともしないのだから」
「それで、君から、百万ぐらい都合してやれないかね」

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国木田独歩

【女難】

 叔母に言うことができないとすれば、お幸と二人で土地を逃げる他に仕方がないと一度は逃亡かけおちの仕度をして武の家に出かけましたが、それもイザとなって踏み出すことができませんでした。と申すのは、『これが女難だな』という恐ろしい考えが、次第次第にたかまってきて、今までお幸のもとに通ったことを思うと『しまった』という念がき上るのでございます。それですからもし、お幸を連れて逃げでもすれば、行く先どんな苦労をするかも知れず、それこそ女難のどん底に落ちてしまうと、一念こうなりましてはかけおちもできなくなったのでございます。
 それで四苦八苦、考えに考えぬいた末が、一人で土地を逃げるという了見になりました、忘れもいたしません、六月十五日の夜、七日の晩から七日目の晩でございます、お幸に一目逢いたいという未練は山々でしたが、ここが大事の場合だと、母の法名を念仏のように唱えまして、 やみに乗じて山里を逃亡いたしました、その晩あたりは何も知らないお幸が私の来るのを待ちこがれていたのに違いありません。女に欺されてはならぬとばかり教えられた私がいつか罪もない女を欺すこととなり、女難をのがれるつもりで女を捨てた時はもう大女難にかかっていたので、その時の私にはそれがわからなかったのでございます。

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二葉亭四迷

【浮雲】

贋物だ邪推だと必ずしも見透かしているでもなく、又必ずしも居ないでもなく、ウカウカと文三がつかませられるままに掴んで、あえだりもんだり円めたり、また引延ばしたりして骨を折て事実ものにしてしまい、今目前にその事が出来しゅったいしたように足掻あがきつもがきつ四苦八苦苦楚くるしみめ、しかる後フト正眼せいがんを得てさて観ずれば、何の事だ、皆夢だ邪推だ取越苦労だ。腹立紛れに贋物を取ッて骨灰微塵こっぱいみじんと打砕き、ホッと一息き敢えずまた穿鑿せんさくに取懸り、また贋物を掴ませられてまた事実ものにしてまた打砕き、打砕いてはまた掴み、掴んではまた打砕くと、何時いつまでってもはてしも附かず、始終同じ所に而已のみ止ッていて、前へも進まず後へも退しりぞかぬ。そして退いてれば、尚お何物だか冷淡のうちに在ッて朦朧もうろうとして見透かされる。<

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佐左木俊郎

【熊の出る開墾地】

 雄吾の父親、岡本吾亮ごすけがしばらくぶりで自分の郷里に帰って来た。東京で一緒になったという若い綺麗な細君と幼いせがれの雄吾をれて。――東京から札幌へ行き、そこで小さな新聞社の記者のようなことをしたり、時には詩なども作ったりしていた彼等の服装や生活は、ひどく派手はでなものとして村の百姓達の反感を買ったのだった。
「あんな身装みなりして、どこで何していたんだべや? 喧嘩好きで腕節うでっぷしの強い奴だったから、ろくなごとしてたんで無かんべで。」
 併しその悪口は、四苦八苦の生活に あえいでいる百姓達の、羨望せんぼうの言葉だった。

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内田魯庵

【美妙斎美妙】

 美妙と紅葉とはと同じ町に育って同じ学校に学び、ある時は同じ家に同宿して同じ文学に志ざし、相共あいともに提携して硯友社を組織した仲であった。然るに『我楽多文庫』公刊匆々そうそう二人が忽ち手を別ってしまったはいわゆる両雄ならび立たずであって、陽には磊落らいらくらしく見えて実は極めて狭量な神経家たる紅葉は美妙が同人に抜駈ぬけがけして一足飛びに名を成したのを余り快よく思わなかったらしい。が、『我楽多文庫』の基礎がマダ固まらないうちに美妙が『都之花』にはしって別に一旗幟きしを建て、あまつさえ自分一人が幸運に舌鼓したつづみを打って一つなべ突付つッついた糟糠そうこうの仲の同人の四苦八苦の経営を 余所々々よそよそしく冷やかにた態度と決して穏当おだやかでなかったから、紅葉初め硯友社の同人が美妙を謀反人むほんにん扱いしたのも万更まんざら無理ではなかった。

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三好十郎

【地熱】

より 島田さんとこのお婆さんなら今朝も此処へ来たよ。(志水に)あんたは寄らなかつたかつて。
志水 へえ、なんだつて?
より 会社との事で頼みたい事があるつて。
辰造 それ見ろ、いよいよどうにもやつて行けなくなつて来たんだよ。購売の方ぢや物価が高くなつたの一点張りでグイグイ品物の値段は上げるしなあ。日当は一厘だつて上りやしないんだ。たゞでさへ四苦八苦してゐるのに、これで稼ぎ人にポツクリ参られて見ろ、ほんとに! 他人事ぢや無いぜ。
志水 だからかうして何とかして貰はうと思つて一所懸命にやつてゐるんぢやないか。
辰造 何とか「して貰ふ」か。一体に気が長過ぎるよ。

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野村胡堂

【胡堂百話】

 直木氏に逢ったのは、それから、よっぽど後である。何かのはずみで、氏の家を訪ねた。立派な家だが、家具なんかなくて、何か、ガランとしていた。すごく豪勢な刀を持ち出して、障子にもたれたまま、
「この刀、この間、買ったんだぜ」
 と、威張っていた。ロクな茶碗もないくせに、素晴らしい刀に千金を投じたり、どこかちぐはぐな面白さが、直木氏の身上だった。
 続いての恩人は、銭形平次を書く端緒を開いてくれた菅忠雄氏であるが、このことは、すでに書いた。
 小説は書きはじめたものの、まだ大して売れず、レコードには注ぎこまなければならないし、四苦八苦していた時に「少年世界」に口をきいて、連載を書くようにしてくれたのは吉川英治氏であった。
 雑誌「譚海たんかい」を主宰して、継続しながら九年間、私の作品を載せてくれ、ともすれば男の子ばかりになりたがる私の作品を、
「もっと、女の子を出して下さいよ。メールヘンだって、王子と姫君とが出てくるじゃありませんか」
 と、忠告してくれたのが、当時の井口長二氏。すなわち、今日の山手樹一郎氏だ。

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Last updated : 2024/06/28