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四面楚歌
しめんそか |
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作家
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作品
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三島霜川 |
【自傳】
僕が之れまで、自分の目的に趺蹉に趺蹉を來し、幾度びか斷然吾が志を抛たんと欲して、抛ち得ざるものは、親父の決心を思ふと、僕は飽くまで此の目的を貫徹せなければ生きてはゐられないと、奮然として勇猛心を起すが常だ。これ全く親父の賜である。親父は死ぬるし、親族には文學なぞの分る連中はない。皆口を揃へて醫者になれ/\と口やかましく勸める、其四面楚歌の聲の中に立つて、一年ばかりぶら/″\して居る中に、親父の建てた家も、殘した金も滅茶々々になつて、僕は市井の間に埋つて了つた。 |
岸田國士 |
【劇場と作者】
最近に制作劇場主ルュニェ・ポオを相手取り、元同劇場専属俳優にして劇作家なるジャン・サルマンが、自作の上演権取戻しに関する争議を捲き起し、一時劇壇の注目を惹いた。時節柄、ポオは四面楚歌の声を受けて、たうとう譲歩したやうだが、これも、劇作家協会に加入してゐなかつたサルマンが、ポオの搾取に遇つてゐたわけである。
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長谷川時雨 |
【尼たちへの消息 ――よく生きよとの――】
文永八年五月七日(今から六百六十四年前)に、四條金吾は鎌倉幕府の |
岡本綺堂 |
【明治劇談 ランプの下にて】
あくまでもさりとて今さら中止するわけにも行かないので、 |
吉川英治 |
【私本太平記 筑紫帖】
そのときの探題襲撃は、見事、菊池方のやぶれに帰し、寂阿武時以下、一族郎党三百余人は、それを、たれかといえば、 少弐ノ入道 大友ノ入道 の二人である。 以来、菊池党として、これこそ深い恨みでないはずはない。 ところが、時勢は急転した。 鎌倉幕府、執権高時、すべて昨日の 余波はすぐ九州へもおよび、博多の地に過去十年余の業績と人柄を |
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