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新陳代謝
しんちんたいしゃ |
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作家
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作品
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夏目漱石 |
【野分】
「まだ卒業したばかりだから、そう急に有名にはなれないさ。そのうち立派な「いつの事やら」 「そう |
夏目漱石 |
【それから】
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島崎藤村 |
【夜明け前 第二部上】
今度の東北戦争の結果は一層この勢いを助けもし広げもして、軍制武器兵服の改革は言うまでもなく、身分の打破、世襲の打破、主従関係の打破、その他根深く何事も土台から。旧時代からの藩の存在や寺院の権利が問題とされる前に、現実社会の動脈ともいうべき交通組織はまず変わりかけて行きつつあった。 |
高浜虚子 |
【発行所の庭木】
発行所の庭には先づ一本の |
長塚節 |
【教師】
中學の教師は比較的時間の餘裕を有して居るのだが、それでもやりやうによつて仲々忙しい。暇を拵へては釣竿擔いで出懸ける同僚もあるんだが、そんな餘計なことはしなくてもいゝだらうと思つて居る。斯ういふ連中は能く泣き出さないばかりに生徒に苛められる。それといふのもみんな自分が惡いのだ。中學の教師は又よく更迭する。此所では大分新陳代謝が行はれた。然し彼等に對する自分の記憶は甑のやうなものだ。殘つて居るものは味噌でいつたら滓ばかりだ。だが唯佐治君ばかりはいつ迄經つたとて到底自分の腦裡を去らぬであらうと思ふ。どうかすると長身痩躯の佐治君が涙を落しながら椅子に倚つて居る容子があり/\と見える。何の力が自分にかういふ強い印象を止めたのであらうか凝然と考へてゞも見ようと思ふと却て解らなく成る。佐治君は哲學科出身の文學士である。
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坂口安吾 |
【人生三つの愉しみ】
週刊朝日のその号に、高野六郎博士が、自身用いている宿酔しない方法というのを説いておられる。水をガブ/\のんで歯をみがくと、歯ミガキ粉が少し自然にノドへはいって、それがシゲキとなって胃の中のものを全部はきだす、という方法である。その道の学者がこういう原始的方法を愛用されているから私もおかしかったというのは、私自身が期せずしてこの方法を用いていたからである。私の場合、方法は同じだけれども、吐く原理の解釈が高野博士とちがっていた。私のは、歯ミガキ粉のシゲキじゃなくて、大口をあけて歯をみがくと、その顔面の運動が、鼻汁が胃へ自然に落ちて行く道をひらく、そして鼻汁が落ちようとすると、猛然として吐きあげてしまうのである。というのも、決してそうだと言いきれるワケではない。私の吐くに至る筋道がどうもそう感じられるという程度のバクゼンたるものではあるが。アンタブスが体内でアルコールと結合するとアセトアルデヒドという酒を嫌いにさせる作用のあるものが蓄積され、新陳代謝を阻害して、顔が真ッ赤になり、汗が流れ、一滴も酒をうけつけられなくなるのだそうだ。 |
田山花袋 |
【少女病】
こみ合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはないので、今までにも既に幾度となくそのやがてお茶の水に着く。 |
牧野富太郎 |
【植物一日一題】
ユズリハはその葉片にも無論美点はあるが、冬に至るとその太き長き葉柄が殊のほか紅色を呈して美わしくなる。葉片と枝とは緑色であるからこれに反映しての葉柄美は特に目立ち、ユズリハは全く冬の植物であることを想わせる。葉柄の前側には狭長な縦溝路があり、葉は質が鈍厚で表面は緑色を呈するが、裏面は淡緑色で常に或る菌類が寄生し、諦視すると細微な黒点を散布している。またある白色黴の菌糸が模様的に平布してユズリハは譲り葉で、その時季に際すれば旧葉が枝から謝すれば、早速その上方に新葉が萌出して旧葉に代わるからそういわれる。タブノキなどの葉でも矢張り同じく新陳代謝はするが、その中にもユズリハが最も目立って著明である。 |
小島烏水 |
【高山の雪】
厳格にいうとネヴェとは、雪線以上の氷河地方にある不滅の雪で、グレシア(Glacier 普通「氷河」と訳す)とは、雪線以下の氷河地方に限られたもののようであるが、日本の山岳地には、雪線も、氷河もないために、ネヴェという語を、固まった半雪半氷状態の万年雪に擬している、しかし単に状態の上から |
永井隆 |
【この子を残して】
子供が泣くのは、恐ろしいから、痛いから、悲しいから、怒ったから、というような理由のためではない。泣き出す動機はそんなものであっても、いざ泣き出してしまえばもうそんなことは意識になく、ただ泣くために泣く。泣くという動作そのものによって一種の満足を感ずるのであろう。あの年ごろでは肉体的にも精神的にも成長がいちじるしく、新陳代謝が盛んであるから、肉体的にも精神的にも何かもやもやしたものがかたまってくる。そいつが思いきり泣くことによって、ぱあっと発散してしまうのだ。うっとうしい蒸し暑さが夕立の大騒ぎで、きれいさっぱり吹き飛んでしまうようなものだ。子供の泣くのは弱虫だからではなく、健康な生理的な一つの要求なのである。しかも、泣けばあとでお母さんから優しく慰めていただける期待がある。――
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