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新陳代謝
しんちんたいしゃ
作家
作品

夏目漱石

【野分】

「まだ卒業したばかりだから、そう急に有名にはなれないさ。そのうち立派な作物さくぶつを出して、おおいに本領を発揮する時に天下は我々のものとなるんだよ」
「いつの事やら」
「そういたって、いけない。追々新陳代謝してくるんだから、何でも気を永くして尻を えてかからなくっちゃ、駄目だ。なに、世間じゃ追々我々の真価を認めて来るんだからね。僕なんぞでも、こうやって始終しじゅう書いていると少しは人の口に乗るからね」

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夏目漱石

【それから】

露西亜ロシアと戦争の最中こそ、閉塞隊は大事だろうが、平和克復の暁には、百の広瀬中佐も全くの凡人に過ぎない。世間は隣人に対して現金である如く、英雄ヒーローに対しても現金である。だから、こう云う偶像アイドルにもまた常に新陳代謝や生存競争が行われている。そう云う訳で、代助は 英雄ヒーローなぞにかつがれたい了見は更にない。が、もしここに野心があり覇気のある快男子があるとすれば、一時的の剣の力よりも、永久的の筆の力で、英雄ヒーローになった方が長持がする。新聞はその方面の代表的事業である。

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島崎藤村

【夜明け前 第二部上】

今度の東北戦争の結果は一層この勢いを助けもし広げもして、軍制武器兵服の改革は言うまでもなく、身分の打破、世襲の打破、主従関係の打破、その他根深くよどみ果てた一切の封建的なものの打破から、もはや廃藩ということを考えるものもあるほどの驚くべき新陳代謝を促すようになった。
 何事も土台から。旧時代からの藩の存在や寺院の権利が問題とされる前に、現実社会の動脈ともいうべき交通組織はまず変わりかけて行きつつあった。

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高浜虚子

【発行所の庭木】

 発行所の庭には先づ一本の棕梠しゆろの木がある。春になつて粟粒を固めた袋のやうな花の簇出そうしゆつしたのを見て驚いたのは、もう五六年も前の事である。それ迄棕梠の花といふものは、私は見た事がなかつたのである。見た事はあつても心に留まらなかつたのである。それがこの家に移り住むやうになつて新しく毎日見る棕梠の梢から、黄いろい若干の袋が日に増し大きくなつて来るのを見て始めて棕梠の花といふものを知つた時は一つの驚異であつた。その後の棕梠には格別の変化も無い。梢から矢の如く新しい沢山の葉が放出すると同時に、下葉の方は葉先から赤くなつて来て幹に添ふて垂下して段々と枯れて行く。この新陳代謝は絶えず行はれつつある。或時私は座敷の机にもたれて仕事をして居ると、軒端に何か物影がさして其処に烈しい 羽搏はばたきの音が聞えたので驚いて見ると、それは半ば枯れて下つてゐる一本の棕梠の葉に止まつた烏が、自分の重みで其の葉を踏折つた、それに驚いて羽搏いてゐる処であつた。丁度私が見上げた時は、其折れた棕梠の葉を踏み外しながら、烏は羽搏いて他の簇出してゐる棕梠の葉の間から大空へ逃げて行かうとする処であつた。

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長塚節

【教師】

中學の教師は比較的時間の餘裕を有して居るのだが、それでもやりやうによつて仲々忙しい。暇を拵へては釣竿擔いで出懸ける同僚もあるんだが、そんな餘計なことはしなくてもいゝだらうと思つて居る。斯ういふ連中は能く泣き出さないばかりに生徒に苛められる。それといふのもみんな自分が惡いのだ。中學の教師は又よく更迭する。此所では大分新陳代謝が行はれた。然し彼等に對する自分の記憶は甑のやうなものだ。殘つて居るものは味噌でいつたら滓ばかりだ。だが唯佐治君ばかりはいつ迄經つたとて到底自分の腦裡を去らぬであらうと思ふ。どうかすると長身痩躯の佐治君が涙を落しながら椅子に倚つて居る容子があり/\と見える。何の力が自分にかういふ強い印象を止めたのであらうか凝然と考へてゞも見ようと思ふと却て解らなく成る。佐治君は哲學科出身の文學士である。

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坂口安吾

【人生三つの愉しみ】

 週刊朝日のその号に、高野六郎博士が、自身用いている宿酔しない方法というのを説いておられる。水をガブ/\のんで歯をみがくと、歯ミガキ粉が少し自然にノドへはいって、それがシゲキとなって胃の中のものを全部はきだす、という方法である。その道の学者がこういう原始的方法を愛用されているから私もおかしかったというのは、私自身が期せずしてこの方法を用いていたからである。私の場合、方法は同じだけれども、吐く原理の解釈が高野博士とちがっていた。私のは、歯ミガキ粉のシゲキじゃなくて、大口をあけて歯をみがくと、その顔面の運動が、鼻汁が胃へ自然に落ちて行く道をひらく、そして鼻汁が落ちようとすると、猛然として吐きあげてしまうのである。というのも、決してそうだと言いきれるワケではない。私の吐くに至る筋道がどうもそう感じられるという程度のバクゼンたるものではあるが。
 アンタブスが体内でアルコールと結合するとアセトアルデヒドという酒を嫌いにさせる作用のあるものが蓄積され、新陳代謝を阻害して、顔が真ッ赤になり、汗が流れ、一滴も酒をうけつけられなくなるのだそうだ。

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田山花袋

【少女病】

 こみ合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはないので、今までにも既に幾度となくそのうれしさを経験した。柔かい着物が触る。えならぬ香水のかおりがする。あたたかい肉の触感が言うに言われぬ思いをそそる。ことに、女の髪のにおいというものは、一種のはげしい望みを男に起こさせるもので、それがなんとも名状せられぬ愉快をかれに与えるのであった。
 市谷いちがや牛込うしごめ、飯田町と早く過ぎた。代々木から乗った娘は二人とも牛込でおりた。電車は新陳代謝して、ますます混雑を きわめる。それにもかかわらず、かれは魂を失った人のように、前の美しい顔にのみあくがれ渡っている。
 やがてお茶の水に着く。

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牧野富太郎

【植物一日一題】

 ユズリハはその葉片にも無論美点はあるが、冬に至るとその太き長き葉柄が殊のほか紅色を呈して美わしくなる。葉片と枝とは緑色であるからこれに反映しての葉柄美は特に目立ち、ユズリハは全く冬の植物であることを想わせる。葉柄の前側には狭長な縦溝路があり、葉は質が鈍厚で表面は緑色を呈するが、裏面は淡緑色で常に或る菌類が寄生し、諦視すると細微な黒点を散布している。またある白色黴の菌糸が模様的に平布して汚染しみのように見える、すなわちこれらがその葉の裏面の状態である。詳かに検して見るとなかなか興味のあるものである。
 ユズリハは譲り葉で、その時季に際すれば旧葉が枝から謝すれば、早速その上方に新葉が萌出して旧葉に代わるからそういわれる。タブノキなどの葉でも矢張り同じく新陳代謝はするが、その中にもユズリハが最も目立って著明である。

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小島烏水

【高山の雪】

厳格にいうとネヴェとは、雪線以上の氷河地方にある不滅の雪で、グレシア(Glacier 普通「氷河」と訳す)とは、雪線以下の氷河地方に限られたもののようであるが、日本の山岳地には、雪線も、氷河もないために、ネヴェという語を、固まった半雪半氷状態の万年雪に擬している、しかし単に状態の上からめた名とすれば、さしたる不都合はなかろうと思われる。しかし地熱の反射から、雪は次第に下から溶解し、上からは新しいのが供給されるから、一見不滅のようでも、それは絶えず新陳代謝しているので、山峰や山稜の上に雪が積ってはまた積り、それが千年も万年も経つとしたら、早い話が、一年に雪が三尺ずつ積れば、五千年で一万五千尺になる計算で、山の上には遥かに高大なる雪の山が出来て、地上の湿分は永久に、山上に閉鎖されて、下界は乾燥になるわけである。

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永井隆

【この子を残して】

 子供が泣くのは、恐ろしいから、痛いから、悲しいから、怒ったから、というような理由のためではない。泣き出す動機はそんなものであっても、いざ泣き出してしまえばもうそんなことは意識になく、ただ泣くために泣く。泣くという動作そのものによって一種の満足を感ずるのであろう。あの年ごろでは肉体的にも精神的にも成長がいちじるしく、新陳代謝が盛んであるから、肉体的にも精神的にも何かもやもやしたものがかたまってくる。そいつが思いきり泣くことによって、ぱあっと発散してしまうのだ。うっとうしい蒸し暑さが夕立の大騒ぎで、きれいさっぱり吹き飛んでしまうようなものだ。子供の泣くのは弱虫だからではなく、健康な生理的な一つの要求なのである。しかも、泣けばあとでお母さんから優しく慰めていただける期待がある。――

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Last updated : 2024/06/28