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森羅万象
しんらばんしょう
しんらばんぞう
しんらまんぞう
作家
作品

夏目漱石

【文芸の哲学的基礎】

いつの間にこう豹変ひょうへんしたのか分らないが、全く矛盾してしまいました。(空間、時間、因果律もやはりこの豹変のうちに含んでいます。それは講話の都合で後廻しにしましたから、今にだんだんわかります)
 なぜこんな矛盾が起ったのだろうか。よく考えると何にもないのに、通俗では 森羅万象しんらばんしょういろいろなものが掃蕩そうとうしても掃蕩しきれぬほど雑然として宇宙に充牣じゅうじんしている。

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永井荷風

【桑中喜語】

女子の悋気りんきはなほゆるすべし。男子が嫉妬しっとこそ哀れにも浅間あさましき限りなれ。そもそも嫉妬は私欲の迷にして羨怨せんえんの心憤怒ふんぬと化して復讐の悪意をかもす。野暮やぼ骨頂こっちょうなり。血気の少年はさて置き分別盛ふんべつざかりの男が刃物三昧はものざんまい無理心中なぞに至つては思案のほかにして沙汰のかぎりなり。およそ森羅万象一つとして常住なるはなし。時に昼夜あり節に寒暖あるは自然の変化なり。変化に先立ちてこれが そなえをなさざれば 遣繰身上やりくりしんしょう いかでか質の流を止めんや。

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高浜虚子

【俳句への道】

 心に感動なくて何の詩ぞや。それは言わないでも分っている事である。ただ、作家がその小感動を述べて得々とくとくとしているのを見ると虫唾むしずが走るのである。そればかりでなく、そういう平凡な感情を暴露して述べたところで、何の得る所もない事をその人に教えたいのである。目を天地自然の森羅万象 しんらばんしょうに映してその心の沈潜するのを待って、そうしてあるかないかの一点の火がその心の底にともり始めて、その感動がようやく大きくなって来てその森羅万象とけ合って初めて句になるような径路、その径路を選ぶ事が正しい句作の誘導法だと考えるのである。客観写生を説く所以ゆえんの一つ。

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国木田独歩

【恋を恋する人】

「そうですとも、大いに妙です。神崎工学士、君は昨夕ゆうべ酔払って春子さんつかまえてお得意の講義をしていたが忘れたか。」
「ねエ朝田様! その時、神崎様が巻煙草たばこの灰を掌にのせて、この灰が貴女には妙と見えませんかと聞くから、私は何でもないというと、だから貴女は駄目だ、およそ宇宙の物、森羅万象、妙ならざるはなく、石も木もこの灰とても面白からざるはなし、それを 左様そう思わないのは科学の神に帰依しないのだからだ、とか何とか、難事むずかしい事をべらべら何時いつまでも言うんですもの。私、眠くなってしまったわ、だからアーメンと言ったら、貴下あなた怒っちゃったじゃアありませんか。ねエ朝田さん。」

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泉鏡花

【海神別荘】

博士 これは、仏国の大帝奈翁ナポレオンが、西暦千八百八年、西班牙スペイン遠征の途に上りました時、かねて世界有数の読書家。必要によって当時の図書館長バルビールに命じてつくらせました、函入はこいり新装の、一千巻、一架ひとたなの内容は、宗教四十巻、叙事詩四十巻、戯曲四十巻、その他の詩篇六十巻。歴史六十巻、小説百巻、と申しまするデュオデシモがたと申す有名な版本の事を……お聞及びなさいまして、御姉君おあねぎみ、乙姫様が御工夫を遊ばしました。はすの糸、一筋を、およそ枚数千頁に薄く織拡げて、一万枚が一折ひとおり、一百二十折を合せて一冊にじましたものでありまして、この国の微妙なる光にひらきますると、森羅万象 しんらばんしょう、人類をはじめ、動植物、鉱物、一切の元素が、一々ひとつずつ微細なる活字となって、しかも、各々おのおの五色のかがやきを放ち、名詞、代名詞、動詞、助動詞、主客、句読くとう、いずれも個々別々、七彩に照って、かく開きました真白まっしろペエジの上へ、自然と、染め出さるるのでありまして。

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北原白秋

【雀の卵】

 大正五年五月中浣、妻とともに葛飾は真間の手児奈廟堂の片ほとり、亀井坊といふに、仮の宿やどりを求む。人生の命運定めがたく、因縁の数寄予めまたはかりがたし。森羅万象 日日ひびあらたにして、いつしか春過ぎ夏来ると雖も、流離の涙しかすがに乾く暇なく、飛ぶ鳥の心いや更にはるる空なし。われ一人の女性を救ひ、茲に妻となして、永恒の赤縄ゑにしを結ぶと雖も、いささかも亦浮きたるほこりを思はず。人間の悲願いよいよ高けれども、又あながち世の鄙俗いやしきを棄てず。赤貧常に洗ふが如く、父母にわかれ、弟妹にわかれ、いまだ三界を流浪すると雖も、不断の寛濶また更にかなしからむ事をのみ希ふ。

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島崎藤村

【夜明け前 第二部下】

先師と言えば、外国よりはいって来るものを異端邪説として蛇蝎だかつのように憎みきらった人のように普通に思われながら、「そもそもかく外国々とつくにぐによりよろづの事物ものごとの我が大御国おおみくにに参り来ることは、皇神すめらみかみたちの大御心おおみこころにて、その御神徳の広大なるゆえに、しきの選みなく、森羅万象 しんらばんしょうのことごとく皇国すめらみくにに御引寄せあそばさるる趣をく考へわきまへて、外国とつくにより来る事物はよく選み採りて用ふべきことで、申すもかしこきことなれども、これすなはち大神等おおみかみたち御心掟みこころおきてと思い奉られるでござる、」とあるような、あんな広い見方のしてあるのに、彼が心から驚いたのも『静の岩屋』を開いた時だった。

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柳田国男

【木綿以前の事】

 つまりは百韻三十六ぎんの連続の中に、一句も俳諧の無い句があってはならぬという松永貞徳まつながていとくなどの意見を、認めるか否かがわかであった。もしもそれが動かすべからざる法則であったら、現今のいわゆる俳句などは、生まれ出づる余地は無かったのである。もっともそういう人々の俳諧の定義は勝手放題にひろいもので、心の俳諧以外に形の俳諧だの言葉の俳諧だのを認め、単に用語が今風の俗言でありさえすればもうそれでよろしいようにしていたが、そうして見たところがやはり窮屈な話で、それだけであまねく人生の森羅万象、あらゆる境涯・感情を表現するに足らぬのは当り前の話である。だから 貞門ていもんの俳諧などはあれだけ多く残っているが、おかしいながらにやはり退屈で、今はかえりみる人も少ないのである。芭蕉はこれに対して、決して急激なる革新論者ではなかった。なか ばは前代の解釈に追随しつつも、随処に自家の判断を実践に移して、大きな効果を挙げている。

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野村胡堂

【楽聖物語】

驚くべき天才の奔騰ほんとうのために、偶々たまたまそのはけ口を座右の詩に求めたのかも知れない。シューベルトにおいては、作曲は少しも労苦ではなく、旋律と和声の噴泉が、絶えずき上って、その奔注ほんちゅうの道を求めていたのである。シューベルトは歌劇オペラ交響曲シンフォニー弥撒ミサ、室内楽、歌曲リード、その他あらゆる形式の作曲をし、かつてその天才の泉の涸渇こかつする気色も見せなかった。万有還金という言葉があるが、シューベルトにとっては万有還楽である。森羅万象 しんらばんしょうことごとく音楽の題材ならざるはなく、その思想の動きがすべて旋律と和声とを持っていたと言ってもしつかえはない。

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中里介山

【大菩薩峠 他生の巻】

 白雲は熱心な眼をかがやかせて、駒井の抗議を食いとめながら、
「どうして形を写して、色が現わせないのですか」
 改めて見直すまでもなく、白雲の描いた海は、一枚として着色のものはありません、みんな墨で描いたものばかりです。その点を駒井はいいました、
「桜の花だけを描いて、淡紅たんこうの色が出ますか、海の動きだけを写して、青く見えますか」
「そこです――」
 白雲は膝を進ませて、
「そこです、私の描いたものにそれが現われなければ、私の恥辱です。 森羅万象しんらばんしょうをいちいちそれに類似した色で現わさねばならぬという仕事は、私にいわせると細工師さいくしの仕事で、美術の範囲ではありません。私は墨で描いたこの海の波に、いちいちの色の変化を現わしたつもり――でなければ現わすつもりでかきました、色ばかりではない、音までも……」

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Last updated : 2024/06/28