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新進気鋭
しんしんきえい
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作家
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作品
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【書かでもの記】
乙羽庵主人大橋氏逝きて後『文芸倶楽部』の主筆に三宅青軒といふ小説家ありけり。日頃人に向ひて『文芸倶楽部』はわれを戴きて主筆とせしより忽発行部数三、四万を越るに至れりと誇顔に語るを常としき。また人の文学を談ずる事あれば当今小説家と称するもの枚挙に遑あらざれど真に文章をよくするものに至つてはもし向島の露伴子を措きなば恐らくは我右に出るものあらざるべしと傍若無人しきりに豪語を放ちて自ら高うせしかば新進気鋭の作家一人として青軒を憎まぬものはなかりけり。されど『文芸倶楽部』によりてその作を発表せんには是非にも主筆の知遇を待たざるべからずとて怒を忍び辞を低うして虎の門
外なるその家を訪ふものも尠なからず。
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【ヒウザン会とパンの会】
店番は私の弟に任し切りであったが、店で一番よく売れたのは、当時の文壇、画壇諸名家の短冊で、一枚一円で飛ぶような売れ行きであった。これは総て私たちの飲み代となった。
私はこの琅玕洞で気に入った画家の個展を屡開催した。(勿論手数料も会場費も取らず、売り上げの総ては作家に進呈した。)中でも評判のよかったのは岸田劉生、柳敬助、正宗得三郎、津田青楓諸氏の個展であった。
ヒウザン会は、丁度その頃、新進気鋭の士の集合であり、当時洋画会の灰一色のアカデミズムにあきたらぬ連中の息抜き場であった。
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【大衆文芸作法】
此処に冒険小説とは、大人子供の如何に拘らず、興味深く愛読出来る冒険談、或は探険談と呼ばるべき種類のものを指すのである。それ等探険小説、或は冒険譚というものは、日本の嘗ての要素に全然無かった種類のものを含んでおって、小説そのものも、事件それ自身も、当時の人々の未知のものであり、無経験のものであり、空想だにもしなかったものであった。換言するならば、当時、日本の文芸にとって、全く新しき境地であり、開拓地であったのである。宜なり、当時の新らしき文学を理解し、信奉する、主として若き、新進気鋭の徒は、
悉くその方に走ったのであった。
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【星座】
御承知のとおり小生会心の一友年来起居をともにしその性格学殖は貴女においても御知悉のはず小生ごときひねくれ者の企図して及びえざるいくたの長所あれば貴女にとりても好箇の畏友たるべく候(この辺まで進んだ時、おぬいさんが眼を挙げて自分を見たのだと思いながらなお読みつづけた)とかくは時勢転換の時節到来と存じ候男女を問わず青年輩の惰眠を貪り雌伏しおるべき時には候わず明治維新の気魄は元老とともに老い候えば新進気鋭の徒を待って今後のことは
甫めてなすべきものと信じ候小生ごときはすでに起たざるべからざるの齢に達しながら碌々として何事をもなしえざること痛悔の至りに候ことに生来病弱事志と違い候は天の無為を罰してしかるものとみずから憫むのほかこれなく候貴女はなお弱年ことに我国女子の境遇不幸を極めおり候えば因習上小生の所存御理解なりがたき節もやと存じむしろ御同情を禁じがたく候えどもけっして女子の現状に屏息せず艱難して一路の光明を求め出でられ候よう祈りあげ候時下晩秋黄落しきりに候御自護あいなるべく御母堂にもくれぐれもよろしく御伝えくださるべく候
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【日本の頭脳調べ ――特に自然科学者に就て――】
長岡博士は極めて実際的な自然科学者だ。博士ほど頭の働く突進的な科学者は珍しいそうだ。と共に、博士ほど哲学を語ることの少ない理論物理学の大家も少ないのである。かつて大学に於ける研究の精神について語った珍しい文章を見たが、そこにあるものは思想というよりも一種の気骨か気魄のようなものだ。この気骨か気魄かが、博士を驚くべき科学者となし、又一種ガムシャラな手腕家としているらしい。かつて東北帝大理学部が新設される時、石原純博士・日下部四郎太博士等を初めとして新進気鋭の物理学者の群を率いて東大を飛び出そうとしたのは博士である。大阪帝大が出来た時、総長として又理学部の設立者として、横暴と見るまでに思った通りの陣営を造り上げたのも博士だ。
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【越後の闘牛】
二十数番取り進んで、きょうの結び相撲である浦柄村の杢平牛と、大内村の孫七牛とが東西から巨姿を現わした。杢平牛は数年間横綱を張っている戦場往来の古強者だ。黒い肌を生漆のように艶々しくみがきあげた毛並みの下に、一尋もあろうと思える肉が細やかに動いている。七、八歳の男盛りの闘牛だ。
これに対する孫七牛はまだ五歳。今春、横綱格に昇ったばかりの新進気鋭の若ものである。やはり黒牛だ。この骨格と、肉付きと、毛並みの艶々しさを見て、誰か美を感ぜぬ者があろうか。彫刻、絵画、工芸作品、舞踊、力士の体格などの美。いやいや、自然の美だ。闘牛、それ自身にはなんの作意もない。私は、動物美の極致にうたれた。孫七牛は、杢平牛に比べると少し小さく、二百三十貫位。杢平牛は、二百五十貫以上はあるであろう。
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【右門捕物帖 毒色のくちびる】
なかでもいちばん人気を呼んだものは、当日の結び相撲だった秀の浦三右衛門と、江戸錦四郎太夫の一番でありました。それというのは、秀の浦が三段目突き出しの小相撲にしては割に手取りのじょうずでしたが、どうしたことか珍しい小男で、そのうえいたっての醜男であったに反し、相手方の江戸錦四郎太夫はまた、当時相撲取り中第一の美男子だったという評判のうえに、力量かっぷく共に将来の大関とうわさされた新進気鋭の若相撲でしたから、その醜男と美男子の取り組みという珍奇な手合わせが、珍しもの好きな有閑階級の大名旗本たちに刺激となったとみえまして、始まらぬまえからもうたいへんな人気でありました。いや、それよりも大奥のお
局、腰元、お女中たちの間における美男相撲江戸錦の人気はむしろすさまじいくらいで――
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【綺堂むかし語り】
普通の劇場は一般の観客を相手の営利事業であるから、芸術本位の脚本を容れると云うまでにはまだ相当の時間を要するに相違ないが、ともかくも商売になりそうな脚本ならば、それが誰の作であろうとも、あまり躊躇しないで受取るようになったのは事実である。一方には文芸協会その他の新劇団が簇出して、競って新脚本を上演して、外部から彼らを刺戟したのも無論あずかって力がある。又それに連れて、この数年来、幾多の新しい劇作家があらわれたのは誰しも知っているところである。
新進気鋭の演劇研究者の眼から観たらば、わが劇壇の進歩は実に
遅々たるもので、実際歯がゆいに相違ない。しかし公平に観たところを云えば、成程それは兎の如くに歩んではいないが、確実に亀の如くには歩んでいると思われる。亀の歩みも焦ったいには相違ないが、それでも一つ処に停止していないのは事実である。
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【新書太閤記 第九分冊】
それとここを守る滝川儀太夫は叔父勝りといわれている勇将だった。叔父とは、滝川一益のことで、いうまでもなく、彼は一益の甥なのである。
寄手の主先鋒は、仙石権兵衛、木村常陸、脇坂中務、服部采女などの手勢だった。いわゆる新進気鋭の旗本たちである。奇襲、猛攻、夜襲と城兵の息もつかせず攻めた。しかし峰は微動もしない。折々にやりと笑って城外を望見してるかのごとき守将滝川儀太夫のすがたが
櫓の上に見えたりする。
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Last updated : 2024/06/28