■このサイトに登録されている四字熟語を検索します。平仮名での検索や一文字からの検索、絞り込み検索などもできます。
四書五経
ししょごきょう
|
作家
|
作品
|
|
【戯作三昧】
「第一馬琴の書くものは、ほんの筆先一点張りでげす。まるで腹には、何にもありやせん。あればまず寺子屋の師匠でも言いそうな、四書五経の講釈だけでげしょう。だからまた当世のことは、とんと御存じなしさ。それが証拠にゃ、昔のことでなけりゃ、書いたというためしはとんとげえせん。お
染久松がお染久松じゃ書けねえもんだから、そら松染情史秋七草さ。こんなことは、馬琴大人の口真似をすれば、そのためしさわに多かりでげす。」
|
|
【菊模様皿山奇談】
拙者は屋敷育ちで頓と知己もござらず、前町に出入町人はございますが、前町の町人どもの方へも参られず、他人の娘を唆かしたとお腹立もございましょうが、お手前様から宜しくお詫びを願いたい、若し寺へまいるような子供でもあれば、四書五経ぐらいは教えましても
好し、何うしても困る時には御厄介にならんよう、人家の門に立ち、謡を唄い、聊かの合力を受けましても自分の喰るだけの事は致す心得
|
|
【田舎教師】
代数の二次方程式の問題をかれは手帳に書きつけてきた。それを机の抽斗しやら押入れの中やら文庫の中やらあっちこっちとさがし回って、ようやくさがし出して二人に見せる。なるほど問題はむずかしかった。数学に長じた郁治にもできなかった。
北川は漢学には長じていた。父親は藩でも屈指の漢学者で、漢詩などをよく作った。今は町の役場に出るようになったのでよしたが、三年前までは、町や屋敷の子弟に四書五経
の素読を教えたものである。午後三時ごろから日没前までの間、蜂のうなるような声はつねにこの家の垣からもれた。そのころ美穂子は赤いメリンスの帯をしめて、髪をお下げに結って、門の前で近所の友だちと遊んだ。清三はその時分から美穂子の眼の美しいのを知っていた。
|
|
【夜明け前 第一部上】
香蔵は半蔵に言った。
「今になって、想い当たる。宮川先生も君、あれで中津川あたりじゃ国学者の牛耳を執ると言われて来た人ですがね、年をとればとるほど漢学の方へ戻って行かれるような気がする。先生には、まだまだ『漢ごころ』のぬけ切らないところがあるんですね。」
「香蔵さん、そう君に言われると、わたしなぞはなんと言っていいかわからない。四書五経から習い初めたものに、なかなか儒教の
殻はとれませんよ。」
|
|
【刑余の叔父】
それに引代へて私の家は、両親共四十の坂を越した分別盛り、(叔父は三十位であつた。)父は小心な実直者で、酒は真の交際に用ゆるだけ。四書五経を読んだ
頭脳だから、村の人の信頼が厚く、承諾はしなかつたが、村長になつて呉れと頼込まれた事も一度や二度ではなかつた。町村制の施行以後、村会議員には欠けた事がない。共有地の名儀人にも成つてゐた。田植時の水喧嘩、秣刈場の境界争ひ、豊年祭の世話役、面倒臭がりながらも顔を売つてゐた。
|
|
【旧藩情】
上等の士族は衣食に乏しからざるを以て文武の芸を学ぶに余暇あり。或は経史を読み或は兵書を講じ、騎馬槍剣、いずれもその時代に高尚と名る学芸に従事するが故に、自から品行も高尚にして賤しからず、士君子として風致の観るべきもの多し。下等士族は則ち然らず。役前の外、馬に乗る者とては一人もなく、内職の傍に少しく武芸を勉め、文学は四書五経
歟、なお進て蒙求、左伝の一、二巻に終る者多し。特にその勉強するところのものは算筆に在て、この技芸に至ては上等の企て及ぶところに非ず。
|
|
【大菩薩峠 間の山の巻】
笠の上の濡れ手紙が乾いたから、米友はそれを捲き直そうとすると、
「友さん、お前は字が読めたねえ」
「読めなくってよ、いろはにほへとから源平藤橘、それから三字経に千字文、四書五経の
素読まで俺らは習っているんだ」
米友は少しく得意の体。
「それはよかった、それではその手紙は、どこへ届けるのだか読んで下さい」
「何だって? お前、届先を聞かねえで手紙を頼まれて来るやつもねえもんじゃねえか。どれ、読んでみてやろう」
「読んで下さい、こんな騒動がなければ早く届けて上げるんでしたに」
|
- それぞれの四字熟語の詳しい意味などは、辞典や専門書でお確かめください。
- このサイトの制作時点では、三省堂の『新明解 四字熟語辞典』が、前版の5,600語を凌ぐ6,500語を収録し、出版社によれば『類書中最大。よく使われる四字熟語は区別して掲示。簡潔な「意味」、詳しい「補説」「故事」で、意味と用法を明解に解説。豊富に収録した著名作家の「用例」で、生きた使い方を体感。「類義語」「対義語」を多数掲示して、広がりと奥行きを実感』などとしています。
|
Last updated : 2024/06/28