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枝葉末節
しようまっせつ
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作家
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作品
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【戯作者文学論 ――平野謙へ・手紙に代えて――】
私はこれから、ある長篇の書きだしを書こうとしている。私がこの小説を考えたのはこの春のことだ。私はこの春、漱石の長篇を一通り読んだ。ちょうど同居している人が漱石全集を持っていたからである。私は漱石の作品が全然肉体を生活していないので驚いた。すべてが男女の人間関係でありながら、肉体というものが全くない。痒いところへ手が届くとは漱石の知と理のことで、人間関係のあらゆる外部の枝葉末節に実にまんべんなく
思惟が行きとどいているのだが、肉体というものだけがないのである。そして、人間関係を人間関係自体に於て解決しようとせずに、自殺をしたり、宗教の門をたたいたりする。
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【街はふるさと】
「君の云うことは、ツジツマが合いすぎて、気味が悪いね。そうツジツマが合いすぎちゃア、いけねえな」
「なに、ツジツマが合うもんかよ。大要をつかんで、要領だけを云ってるんだよ。要所要所は、いつもツジツマの合ったものさ。枝葉末節に至ると、必ずツジツマが合わなくなるのさ。人生は大方枝葉末節で暮しているから、万事ツジツマが合わねえや。こりゃア、仕方がないじゃないか」
「そういうもんかね。しかし、要所要所に於て、君は大そうあたたかいようだが、実はひどく冷めたいのも、枝葉末節のせいかね」
「そうだろう」
「なア、長さんや。思うに、君も水ムシだね。むしろ、君こそ水ムシの張本人だね。生涯人をむしばんで痛くもカユくもねえや。実に酷薄ムザンですよ。最も酷薄なるものは、痛くもカユくもないものだ。それは、君に於て、まさに最も適切だね」
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【支倉事件】
所が支倉の論じようとしているのは、当日清正公前から電車に乗ったか乗らぬと云う問題でなく、人を殺したか殺さぬかと云う問題である。即ち彼は当日電車に乗らなかったと云う事で殺人を否定しようとしている。之はいけない。電車に乗らなくても、つまり電車に乗ったと云う自白が嘘であっても、殺人をやらないと云う直接証拠がなければ、電車問題は要するに枝葉末節だ。彼はこんな枝葉末節からかゝってはいけない。人は能く根本の議論で勝てないと思うと、枝葉末節の方をほじり出して、対手を陥れようとする。
支倉の思いつきもそんな所らしいが、これは確かに彼の失敗だった。けれどもどうも電車に乗らなかったと云う支倉の申立ては本当らしいと思えるのだ。
電車問題で敗れると、支倉はいよ/\本性を現わした。
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【黒田如水】
「――かさねて申しあぐるが、仰せらるる将来の大計、いわゆる天下の事は何とせられても、中国を治めて後、初めて成るものではございますまいか。強大な毛利家の勢力が、頑として、摂津以西の海陸を擁しているあいだは、たとえ信長卿が中原の地、京都に旗幟を立てて、足利公方以下、旧幕府の人間と悪弊とを地から掃くように追払っても、なお肯んぜぬ近畿の大小名を一個一個討って行っても、また東海方面の安定を得ても、甲山陸の強豪を亡ぼし尽しても、結局、それを以て、満足とはいえません。思し召すところの理想なども行えません。どうしても中国平定の如何に帰結されます。……ましてその毛利家が石山本願寺と結び、その本願寺派の抗戦が、種々な形をとって、近畿に伊勢に北陸に、宗門の身のあるところ、隙さえあれば、火の手をあげて、反信長の兵乱を起している現状では、なおさらのことではありませんか。長島を攻めたり、北陸を攻めたり、みな枝葉末節です。なぜ抜本
直截的に、その傀儡者たる本願寺を討ち、また大挙、中国攻略の軍を決断なさらぬのか……官兵衛は実に歯がゆいと思います」
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- このサイトの制作時点では、三省堂の『新明解 四字熟語辞典』が、前版の5,600語を凌ぐ6,500語を収録し、出版社によれば『類書中最大。よく使われる四字熟語は区別して掲示。簡潔な「意味」、詳しい「補説」「故事」で、意味と用法を明解に解説。豊富に収録した著名作家の「用例」で、生きた使い方を体感。「類義語」「対義語」を多数掲示して、広がりと奥行きを実感』などとしています。
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Last updated : 2024/06/28