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自然淘汰
しぜんとうた
作家
作品

寺田寅彦

【俳句の精神】

 どうして日本に五、七あるいは七、五の律動が普遍化したかということはむつかしい問題である。今のところ明白な説明はできそうもない。私見によるとおそらくこれは四拍子の音楽的拍節に語句を配しつつ語句と語句との間に適当な休止を塩梅あんばいする際に自然にできあがった口調から発生したものではないかと想像されるのであるが、これについては別の機会に詳説することとして、ここではともかくそうしてできた五七また七五調が古来の日本語に何かしら特に適応するような楽律的性質を内蔵しているということをたとえ演繹えんえきすることは困難でも、眼前の事実から帰納することができればそれで少なくもこの場限りの目的には充分であろうと思われる。
 古事記などの古い部分に現われたいろいろの歌ではまだ七五の形は決定していないで、いろいろの字数の句が錯雑している。そうしてその錯雑した中に七五あるいは五七の胚芽はいがのようなものが至るところに散点していることが認められる。それがいつとはなしに自然淘汰 しぜんとうたのふるいにでもかけられたかのようにいろいろな異分子が取り除かれて五と七という字数の交互的連続に移って行っている。こういう現象は決して権勢の力や金銭の力で招致することのできないものであって、やはり進化論的の意味での自然淘汰、適者生存の理によるものであろうと思われる。この七五、また五七は単に和歌の形式の骨格となったのみならずいろいろな歌謡俗曲にまで浸潤して行ってありとあらゆる日本の詩の領分を征服し、そうしてすべての他の可能なるものを駆逐し、排除してしまっている。これは一つの大きな「事実」である。そうだとすれば、これだけの強勢な 伝播でんぱと感染の能力を享有する七五の定数にはやはりそうなるだけの内在的理由があると考えるよりほかに道はないであろうと思われる。
 要するに七五の定数律は人のこしらえたものではなくて、ひとりで生まれひとりで生長して来たものである。それで今にわかに人為的にこれを破壊し棄却しようとしてもそう急速には意のままにならないであろうと考えられる。これは理屈ではなくて事実なのである。

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中谷宇吉郎

【実験室の記憶】

 そういう心配りはしかし実際は不必要なのである。こういうふうな気風の実験室の中では、実験台の上に置かれた不用の小道具類は石の上に放り出された雑草のようにいつの間にか消えてしまう。そしてひどく毛色は変っているが、一種の明窓浄机めいそうじょうき面影おもかげが実験室の中に出て来るのである。もちろん雑多な技術や知識が始終流れ込んでいるので、こういう自然淘汰 しぜんとうたが出来上がるまでには活きた長い時が必要である。実験室が一度死んでしまうとよどんだ水のように、この空気もくさってしまう。しかしそれが活きて流れておれば、いつの間にか適当な自然淘汰が行われて、必要な知識の集積が、実験室の記憶となって、その室の 隅々すみずみまで浸みて残るのである。

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丘浅次郎

【人類の将来】

 野生の動物には生存競争の結果、常に自然淘汰が行はれ、筋肉体力の劣つたもの、感覚の鈍いもの、其他、生存に不適当のものは亡びて、適者のみが生存する故、生存に適する性質は代を追うて僅かづつ発達し、決して退歩することは無いが、人類には、何物とでも交換の出来る貨幣が流通する様に成つた後は、自然淘汰の働きが中絶した。人類に於ても生存競争が劇烈で、敗者は生存が出来ぬのであるから、確に一種の淘汰が行はれて居るには違ひないが、今日人類の生存競争に於て勝敗の定まる標準は必ずしも身体の勝れたこと、精神の優つたことではなく、多くは全く別種の関係から勝敗が決する故、常に極めて劇しい生存競争がありながら、優者のみを生存せしめると云ふ淘汰は起らぬ。身体も健全で智力も相応に発達した者が貧に迫つて自殺することもあれば、病身な愚物が医者と看護婦とを傭ひ得る金銭の力で、無事に生存して子を遺すこともある。立派な人間に育つべき体質の嬰児がたゞ貧家に生れた計りに、栄養不良で夭死することもあれば、両親の何れに似ても碌な者には成りさうもない月足らずの児が、贅沢な定温哺育箱の助けに依つて安全に成長することもある。斯くの如く今日の人類には身体の健全と、精神の優秀とを標準とした淘汰は全く行はれぬが、淘汰が止めば其時まで淘汰の標準であつた点が直に退化し始めるのは、生物学上動かすべからざる確な事実である。暗黒な洞の内に在つて眼の優劣を標準とした自然淘汰が無いと、其の動物の眼は次第に退化する。追ひ掛ける獣類の居ない所に住んで、飛ぶ力の優劣を標準とした自然淘汰が無いと、其鳥の翼は次第に小さく弱くなる。アメリカの大洞内に居る盲魚や、ニユージーランドに産する無翼鳥は斯くして出来たものである。されば人類も肉体及び精神の優劣を標準とした淘汰が行はれぬ結果、両者ともに漸次退化すべきは数の免かれざる所で、今後は必ず著しく退化の現象が現はれるであらう。現に今日でも西洋諸国では既に人類の退化現象の少なからぬに気が附き医者、法律家、社会学者などが集まつて、喧しく之を論じ、其ために専門の機関雑誌をも発行して、之を防止する方法を講じて居るが、淘汰の行はれぬ限りは退化は止むを得ぬ故、到底致し方は無いのである。

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Last updated : 2024/06/28