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少壮気鋭
しょうそうきえい
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作家
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作品
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【松井須磨子】
小山内氏は訳者という関係ばかりではなく、市村座の演劇顧問という位置からしても、舞台上の酷評には昂奮しないわけにはゆかなかった。それから間もなくその舞台装置の責任者であった、洋画家小糸源太郎氏が、どうしたことか文展へ出品した額面を、朝早くに会場へまぎれこんで、自分の手で破棄したことにつき問題が持上り、小糸氏は将来絵筆をとらぬとかいうような事が伝えられた。口さがない楽屋雀はよい事は言わないで、何かあると、緑の朝ですかねというような反語を用いた。その評判を逆転しようとしたのが松竹会社の策略であった。松竹は芸術座を買込み約束が成立すると、その魁に明治座へ須磨子を招き、少壮気鋭の旧派の
猿之助や寿美蔵や延若たちと一座をさせ、かつてとかく物議の種になった脚本をならべて開場した
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【小熊秀雄全集-19- 美術論・画論】
日本橋『三越』で開かれた松林桂月氏の小品展は桂月氏の平素抱懐してゐるところの、日本画の新しい写実的方向の開拓といふ点で、桂月氏の努力に敬意を払つていゝものがあるだらう、我々は洋画といふものを度外れた支持の仕方をする必要もないと同様に、日本画即ち古い絵画形式――といふ風な概念からも遠ざかる必要がある。洋画対日本画の問題は非常に難かしいのだ、それと日本画は日本画の内部に於て、幾多の矛盾と、反撥との問題を抱含してゐるから、それぞれの制作上の制約性を、肯定してかゝらなければ、一言半句も批判めいたことを言へないのである。敢て桂月氏を老大家とすれば、最近問題になつてゐる福田豊四郎氏や吉岡堅二氏は少壮気鋭の作家と言ふことができよう、深尾須磨子氏が福田、吉岡両氏の帝展作を、日本画の新しい傾向として驚嘆的に賞めてゐたが、事実福田氏や吉岡氏は洋画界のシュールリアリストやアブストラクトにも劣らぬやうな仕事を、然も日本画の世界でやつてゐるのである、
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【空襲葬送曲】
下町方面は、古くから、空襲教練が、たいへん行届いている模範的の区域だった。たびたびの防空演習に、町の人々は、いつも総出で参加した。すこし芝居好きのところは、あったにしても、あれほど熱心に、灯火管制の用意に黒色電灯カバーを作ったり、押入を改造して、防毒室を設けたり、配電所に特別のスイッチを設けたりして、骨身を惜まないのは、感心にたえなかった。
それが、あの本物の空襲下に曝されて、どこの区域よりも二三倍がた、混乱ぶりのひどかったことは、まことに意外の出来ごとだった。そのような大混乱の元は、なんであるかというと第一に、いつもの演習は、少壮気鋭
の在郷軍人会の手で演じていたのが、本物の空襲のときには、その在郷軍人たちの殆んど全部が、召集されて、某国へ出征していたために、残っている連中だけでは、どうもうまく行かなかったこと。第二には、しっかりした信念がなくて、流言蜚語に、うまうまと捲きこまれ秩序が立たなかったこと。この二つの原因が混乱の渦巻を作ってしまった。
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【私本太平記 黒白帖】
「機は熟す」
と、そこで彼は積極戦略へと移行しだした。――まず正行を激励して紀州の隅田城を打たせ、その余勢で、細川顕氏を堺ノ浦に撃破させた。――正行の純で少壮気鋭なこと、北畠
顕家の再来を偲ばせるものがあった。
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Last updated : 2024/06/28