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主客転倒/主客顛倒
しゅかくてんとう
作家
作品

夏目漱石

【コンラッドの描きたる自然について】

 一月二十七日の読売新聞で日高未徹君は、余の国民記者に話した、コンラッドの小説は自然に重きをおき過ぎるの結果主客顛倒てんとうかたむきがあると云う所見を非難せられた。
 日高君の説によると、コンラッドは背景として自然を用いたのではない、自然を人間と対等に取扱ったのである、自然の活動が人間の活動と相交渉し、相対立する場合を写した作物である。これを主客顛倒と見るのは始めから自然は客であるべきはずとの 僻目ひがめから起るのである。――まあこういうのが非難の要点である。

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岸田國士

【従軍五十日】

 時々迫撃砲などそこから撃ちだすといふ側背の廬山は、例の飯塚部隊長戦死の跡といふ山襞をむき出して、右手前方に伸び、その先端の金輪峰が晴れた秋空にそゝり立つてゐる。秋空とは云へ、真夏のやうな太陽が照りつけるなかに、われわれは立ち、流れる汗を拭く気にもならぬ。昼食の時間になり、小松の蔭に腰をおろして飯盒の弁当をつゝいた。何処からかビールとサイダアが運ばれる。かういふ主客転倒のやうな状態が時々われわれを途方に暮れさせた。

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豊島与志雄

【反抗】

 彼には保子の態度が腑に落ちなかった。彼女の話は、頭ばかりが大袈裟でしっぽがすっと消えていた。村田のこともそうだった。写真のこともそうだった。そして両方とも、彼はすっぽかされてしまった。村田のことから妙に真剣になって尋ねだすと、いつのまにか主客転倒されてしまい、写真のことから少し深入しかけると、ふいに 釣魚つりのことへはぐらかされてしまった。

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北大路魯山人

【なぜ作陶を志したか】

 また一つの事実として、みずから全部を作らなくば自作品とは言えぬ。上絵だけを付けて、魯山人作の銘をつけて来たことが今更にじられた。それは詐欺の行為であったからである。生地を他人に作らせ、上絵付けを自分がするのは、合作であって自作ではない。殊に陶器は絵付けが主でなくて、土の仕事が主である。その土の仕事は無知な職人に任せて、絵付けを自分がしているなど、少なくとも作陶精神に於ては主客転倒している。と言って、自分は根本的に合作を否定する者ではない。合作の場合は同職程度の役者が揃う必要がある。

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泉鏡花

【婦系図】

 先生の前で、立騒いでは、と控えたが、門生が澄まし込んで冷淡に膝に手を置いているにも係わらず、酒井はずッと立って、脊高せだかく車掌台へ出かけて、ここにも立淀む一団ひとかたまりの、弥次の上から、大路へ顔を出した……時であった。
 主客顛倒しゅかくてんどう、曲者の手がポカリと飛んで、礼之進の痘痕あばたは砕けた、火の出るよう。

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野村胡堂

【胡堂百話】

 私は戦前から、軽井沢に山小屋があって、夏の三カ月間は、サッサと東京をあとにする。借家ずまいの身で、まず、別荘を持ったのは、まことに主客顛倒であるし、新聞社に籍がありながら、原稿だけを送って、涼しい顔をしていたのは、私のいた新聞社が、不思議な寛大さを持っていたためである。
 戦争中は、家をあげて山荘にこもり、林をひらいて、南瓜かぼちゃ馬鈴薯ばれいしょを作った。隣人に、文芸や、音楽を論ずるT画伯があり、夜は、灯火管制の空の下に、のちの文相前田多門、宮内庁長官田島道治氏らの疎開仲間と、T氏の美術論に聞き入ったものである。

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久生十蘭

【魔都】

 真名古は電光の如くに駆け寄って来ると、この骨皮筋右衛もんのどこからこんな力が来るのかと思われるようなえらい力で、ガッシリと加十の手首を掴まえた。万力に挾まれたってこうまで骨身に徹えまい。もう観念するより仕方がない。何しろ痛くてたまらぬのである。加十は皮椅子の上に引据えられ、真名古は深々と安楽椅子の中に沈み込んだ。たちまち主客顛倒してしまったがこれも止むを得ない。加十はもはや王様でも何でもない、一個の刑事被告人に過ぎぬのである。

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Last updated : 2024/06/28