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酔生夢死
すいせいむし |
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作家
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作品
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森鴎外 |
【妄想】
そんなら自我が無くなるといふことに就いて、平気でゐるかといふに、さうではない。その自我といふものが有る間に、それをどんな物だとはつきり考へても見ずに、知らずに、それを無くしてしまふのが口惜しい。残念である。漢学者の謂(い)ふ酔生夢死(すゐせいむし)といふやうな生涯を送つてしまふのが残念である。それを口惜しい、残念だと思ふと同時に、痛切に心の空虚を感ずる。なんともかとも言はれない寂しさを覚える。
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有島武郎 |
【惜みなく愛は奪う】
果てしのない迷執にさまよわねばならぬ人の宿命であって見れば、各の瞬間をただ楽しんで生きる外に残される何事があろうぞとその人達はいう。その心持に対して私は白眼を向けることが出来るか。私には出来ない。人は或はかくの如き人々を酔生夢死の徒と呼んで唾棄(だき)するかも知れない。然し私にはその人々の何処(どこ)かに私を牽(ひ)き付ける或るものが感ぜられる。私には生来持ち合わしていない或る上品さ、或る聡明さが窺われるからだ。
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坂口安吾 |
【紫大納言】
大納言は、木の根に縋(すが)って這い起きたが、歩く力はまったくなかった。彼は木の根に腰を下して、てのひらに顔を掩(おお)うた。死ぬことは、悲しくなかった。短い一生ではあった。酔生夢死。ただそれだけのことだった。然し、そのことに、悔いはなかった。ただ、あの笛をあのひとに返さぬうちは、この悲しみの尽きるときがない筈だった。彼は泣いた。ただ、さめざめと。
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坂口安吾 |
【安吾巷談 麻薬・自殺・宗教】
麻薬や中毒は破滅とか自殺に至って終止符をうたれるが、宗教はともかく身を全うすることを祈願として行われているから、その限りに於て健全であるが、ナニ麻薬や中毒だって無限に金がありさえすれば、末長く酔生夢死の生活をたのしんでいられるはず、本質的な違いはない。両者ともに神を見、法悦にひたってもいられるのである。
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辻潤 |
【浮浪漫語】
「酔生夢死」という言葉がある。僕はこの言葉が大好きである。願わくば刻々念々を酔生夢死の境地をもって始終したい。又「浮遊不知所求。猖狂不知所往」の如きは自分のようなボヘエムにとっては繰り返せば繰り返す程、懐かしみの増して来る言葉である。「酔生夢死」は自分のようなヤクザ者には至極嬉しい言葉である。
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宮本百合子 |
【傷だらけの足 ――ふたたび純潔について――】
ストリンドベリーは、偽善に対する彼のはげしい憤りと女性の動物性への侮蔑から、下層の男の野性を、征服者として登場させている。(令嬢ユリー)こういう実例は、日本の現実の中にも少くない。しかしローレンスは、人間としての女性をはずかしめる者としてではなく、枯涸と酔生夢死から人間の女として覚醒させる者として、より強壮で、率直な男の性を提出している。
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種田山頭火 |
【四国遍路日記】
十一月二十八日――十二月二日
酔生夢死とはこんなにしていることだろうと思った、何も記す事がない、強いて記せば―― |
牧野富太郎 |
【植物知識】
人間は生きている間が花である。わずかな短かい浮世(うきよ)である。その間に大いに勉強して身を修め、徳を積み、智(ち)を磨(みが)き、人のために尽(つ)くし、国のために務(つと)め、ないしはまた自分のために楽しみ、善人として一生を幸福に送ることは人間として大いに意義がある。酔生夢死(すいせいむし)するほど馬鹿(ばか)なものはない。この世に生まれ来るのはただ一度きりであることを思えば、この生きている間をうかうかと無為(むい)に過(す)ごしてはもったいなく、実に神に対しても申し訳(わけ)がないではないか。
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