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頭北面西
ずほくめんさい 釈迦が入滅した時の姿。その姿にならって、人が死んだ時、死者を北枕にし、顔を西に向け、右脇を下にして寝かせること。頭北西面右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)。頭北西面。[精選版 日本国語大辞典]
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作家
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作品
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中里介山 |
【 法然行伝 】 建暦二年正月二日から法然は食事が進まず疲労が増した。「わしはもと極楽にいた身だから又極楽へ帰って行くであろう」と。 又法蓮房が問うて 「古来の先徳皆その御遺蹟というものがありまする。しかるに上人にはまだお寺を一つお建てになったということがございません。御入滅の後は何処を御遺蹟といたしましょうか」 と尋ねた。法然答えて、 「一つの 十一日の 「この御仏を御礼拝になりますか」といった処が、法然は指で空を指して、 「この仏の外にまだ仏がござる。拝むかどうか」といった。それはこの十余年来念仏の功が積って極楽の また弟子達が仏像の手に五色の糸をつけて、 「これをお取りなさいませ」 といった処が、法然は、 「斯様のことは常の人の儀式である。我身に於てはそうするには及ばぬ」 といって取らなかった。二十日の巳の時から紫雲が棚引いたり、円光が現われたり、さまざまの奇瑞があったということである。 二十三日から法然の念仏が或は半時或は一時、高声念仏不退二十四日五日まで病悩のうちにも高声念仏は怠りなかったが二十五日の 「 の文を唱えて眠るが如く息が絶えた。音声が止まって後、なお唇舌を動かすこと十余反ばかりであった。面色殊に鮮かに笑めるが如き形であった。これは当に建暦二年正月二十五日午の正中のことであった。春秋満八十歳、釈尊の入滅の時と年も同じ、支干もまた同じく |
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