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頭北面西
ずほくめんさい
釈迦が入滅した時の姿。その姿にならって、人が死んだ時、死者を北枕にし、顔を西に向け、右脇を下にして寝かせること。頭北西面右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)。頭北西面。[精選版 日本国語大辞典]
作家
作品

中里介山

【 法然行伝 】

 建暦二年正月二日から法然は食事が進まず疲労が増した。すべて三四年この方は耳もよく聞えず、眼もかすんでいたが、この際になって明瞭にかえったようで、人が皆不思議に思った。二日以後は更に余の事を云わず、往生のことを話し、念仏の声絶えず、眠っている時も口と舌とは動いていた。三日の日に或る弟子が往生のことを、「御往生は如何」と尋ねる。
「わしはもと極楽にいた身だから又極楽へ帰って行くであろう」と。
 又法蓮房が問うていわく、
「古来の先徳皆その御遺蹟というものがありまする。しかるに上人にはまだお寺を一つお建てになったということがございません。御入滅の後は何処を御遺蹟といたしましょうか」
 と尋ねた。法然答えて、
「一つの廟所びょうしょと決めては遺法があまねくわたらない。わしが遺蹟というところは国々至る処にある。念仏を修する処は貴賤道俗をいわず、あまがとまやまでもみんなわしの遺蹟じゃ」
 十一日のの刻に弟子が三尺の弥陀の像を迎えて病臥の側に立て、
「この御仏を御礼拝になりますか」といった処が、法然は指で空を指して、
「この仏の外にまだ仏がござる。拝むかどうか」といった。それはこの十余年来念仏の功が積って極楽の荘厳仏菩薩しょうごんぶつぼさつの真身を常に見ていたが、誰れにも云わなかった。今最期さいごに臨んでそれを示すといったそうである。
 また弟子達が仏像の手に五色の糸をつけて、
「これをお取りなさいませ」
 といった処が、法然は、
「斯様のことは常の人の儀式である。我身に於てはそうするには及ばぬ」
 といって取らなかった。二十日の巳の時から紫雲が棚引いたり、円光が現われたり、さまざまの奇瑞があったということである。
 二十三日から法然の念仏が或は半時或は一時、高声念仏不退二十四日五日まで病悩のうちにも高声念仏は怠りなかったが二十五日のうまの刻から念仏の声が漸くかすかになって、高声が時々交じる。まさしく臨終であると見えたとき、慈覚大師の九条の袈裟を架け、頭北面西にして、
光明遍照こうみょうへんじょう十方世界じっぽうせかい念仏衆生ねんぶつしゅじょう摂取不捨せっしゅふしゃ
 の文を唱えて眠るが如く息が絶えた。音声が止まって後、なお唇舌を動かすこと十余反ばかりであった。面色殊に鮮かに笑めるが如き形であった。これは当に建暦二年正月二十五日午の正中のことであった。春秋満八十歳、釈尊の入滅の時と年も同じ、支干もまた同じく壬申みずのえさるであった。

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Last updated : 2024/06/28