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珍味佳肴/珍味嘉肴
ちんみかこう |
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作家
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作品
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坂口安吾 |
【 現代忍術伝 】 こうして、一行は箱根「あの男が やっぱり二十四五のチンピラであった。見たところニコニコと、能なしの坊ッちゃんみたいな顔である。 一風呂あびて、昼食。正宗菊松が七八年見たこともない珍味佳肴の数々。然し、ゆっくり味あうこともなく、自動車がきました、という。あわてゝモーニングに威儀を正して玄関へ降りる。半平、才蔵、坊介の面々、すでに米俵や酒樽などを車中に持ちこんで、待っていた。 |
坂口安吾 |
【 織田信長 】 出家遁世者の最後の哲理は、信長の身に即していた。しかし、出家遁世はせぬ。戦争に浮身をやつし、天下一に浮身をやつしているだけのことだ。一皮めくれば、死のうは一定、それが彼の全部であり、天下の如きは何物でもなかった。彼はいつ死んでもよかったし、いつまで生きていてもよかったのである。そして、いつ死んでもよかった信長は、その故に生とは何ものであるか、最もよく知っていた。生きるとは、全的なる遊びである。すべての苦心経営を、すべての勘考を、すべての魂を、イノチをかけた遊びである。あらゆる時間が、それだけである。信長は悪魔であった。なぜなら、最後の哲理に完ペキに即した人であったから。 然し、この悪魔は、殆ど好色なところがなかった。さのみ珍味佳肴も欲せず、金殿玉楼の慾もなかった。モラルによって、そうなのではない。その必要を感じていなかったゞけのことだ。 老蝮は、悪逆無道であると共に、好色だった。彼は数名の美女と寝床でたわむれながら、侍臣をよんで天下の政務を執っていた。これもモラルのせいではない。その必要のせいである。悪魔にとっては、それだけだった。信長の謹厳も、老蝮の助平も、全然同じことにすぎなかった。 |
坂口安吾 |
【 二流の人 】 その翌日が謁見の日で、登る石垣山一里の道、屠所にひかれる牛の心で、生きた心持もなく広間にへいつくばつてゐると、ガラリと襖があいて、秀吉が真夏のことゝは言ひながら素肌に陣羽織、前ぶれもなくチョロ/\現れてきた。ヤア、御苦労々々々、よくぞ来てくれたな。遠路大変だつたらう。何はおいても先づ一献ぢや。これよ、仕度を致せといふので、政宗の夢にも知らぬ珍味佳肴、豪華つくせる大宴会、之が野戦の陣地とは夢又夢の不思議である。石垣山の崖上へ政宗をつれだして小田原城包囲の陣形を指し、田舎の |
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