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彫心鏤骨
ちょうしんるこつ ちょうしんろうこつ |
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作家
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作品
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北原白秋 |
【雀の卵】
あゝ、私は決して天才では無からう。さういふ自分を天才視するほどの驕慢も自尊も今の私にはさらさら無くなつて了うた。全く身の程を思ふと恐ろしくなる。が、何と云つても私は詩を離れて生きてゆけない人間だ。端くれでも矢つ張り私は芸術家の一人だ。芸術家の芸術に奉仕する苦しみと云ふものはまた格別なものだと云ふ位は知つてゐる。あの葛飾にゐた頃にしろ、私は字を削り句を削り、一念に彫心鏤骨の極を尽した、が、了ひには、思ひつめた「白金の唖」のやうになつて、ただ燦々とした涙ばかりが頬を伝うた。
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土井晩翠 |
【新詩發生時代の思ひ出】 明治二十一年十八歳で二高に入學、補充科一年、豫科三年、本科二年の科程を、六ヶ年かかつて終了したが、其頃に山田美妙や尾崎紅葉や幸田露伴先生が現はれた。山田は言文一致體――今日の口語體の先鋒で金港堂發行月刊「都の花」の花形であつた。末路は悲慘であつたが、彼の遺した文學上の功績は斷じて僅少でない。紅葉は『七生文章に盡さん』と其後臨終の際に曰つた通り、彫心鏤骨の文章を書いたのは尊い。
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上田敏 |
【上田敏訳 海潮音】
詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意に非らず、これ或は山嶽と共に舊るきものならむ。然れども之を作詩の中心とし本義として故らに標榜する所あるは、蓋し二十年來の佛蘭西新詩を以て嚆矢とす。近代の佛詩は高踏派の名篇に於て發展の極に達し、彫心鏤骨の技巧實に燦爛の美を恣にす、今茲に一轉機を生ぜずむばあらざるなり。
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種田山頭火 |
【片隅の幸福】 一茶の作品は極めて無造作に投げ出したようであるが、その底に潜んでいる苦労は恐らく作家でなければ味読することが出来まい(勿論、芭蕉ほど彫心鏤骨ではないが)。いうまでもなく、一茶には芭蕉的の深さはない。蕪村的な美しさもない。しかし彼には一茶の鋭さがあり、一茶的な飄逸味がある。 |
風巻景次郎 |
【中世の文学伝統】
私どもは |
野村胡堂 |
【胡堂百話】
名匠苦心談というものが、私は何よりもきらいである。満足に三度のものに、ありついて、一つの芸事を仕上げるのに、 |
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