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躊躇逡巡
ちゅうちょしゅんじゅん
作家
作品

菊池寛

【 仇討禁止令 】

  主人の小泉は、山田とはすでに相談ができていたように、静かに口を開いた。
「成田殿に、個人として、我々はなんの恨みもない。頑固ではあるが、主家に対しては忠義一途の人じゃ。が、一藩の名分を正し、順逆を誤らしめないためには、止むを得ない犠牲だと思う。成田殿一人を倒せば、後には腹のあるやつは少ない。明日の出陣も、総指揮の成田殿が亡くなれば、躊躇逡巡して沙汰止みになるのは、目にみえるようだった。その間に、尊王の主旨を吹聴して、藩論を一変させることは、案外容易かと存ずる。慶応二年以来、我々同志が会合して、勤王の志を語り合ったのも、こういう時の御奉公をするためだと思う。成田殿を倒すことは、天朝のおためにもなり、主家を救うことにもなる。各々方も、御異存はないと思う」

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木下尚江

【 鉱毒飛沫 】

足尾鉱毒事件が始めて衆議院の議場に披露せられたるは明治二十四年に在り。爾来十星霜、而して彼等被害民の意思と行為とは転一転毎に其度を高かめて、今は鉱業停止の一天張りとはなれり。世人の被害民に同情を寄する者決して尠なしとせず。而して彼等の同情も「鉱業停止」の叫声に接して躊躇逡巡するが如し。余は今ま鉱業停止問題の是非を論ずるに非ず。然れ共彼等も最初より鉱業停止を号叫したるに非ず。而して彼等をして、此の最後の声を発せざるべからざらしめたるに就ては、政府また其責任の半分を負担せざるべからず。

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横光利一

【 旅愁 】

 チュイレリイ宮殿の跡といっても、今は画館と浮草の巻き返った高い金色の門より残ってはおらず、プラターンの繁みの下で子供たちが白い股を露わしているだけの公園だったが、しかし、久慈は跳ね散る水玉の絶え間ない運動をうっとりと見つづけているうちに、そこに見える唐草の金色の門から噴き上った革命の騒擾が、まただんだんと思い描かれて来るのだった。そのときは眼の前に連っている鉄柵を揺り動かして群衆が押しよせ、またその狂乱する群衆の心理の底をかい潜って、これを煽動する一群の貴族や躊躇逡巡して決意を知らぬルイ十六世の若いインテリの眼の前で、膨れ上って燃えるダントンの情熱と平行し、民衆に謀反の油を注ぎつつ、しかも、王の安全に奮闘して斃れるミラボオの苦策など――人の脳中にほんの些細な疑いの片影がかすめ去る度びに、ばたばたと首の飛び散った大噴水がここに立ち狂っていたのである。

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片上伸

【 生みの力 】

  フランス象徴主義の詩人の中でも、※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ルレエヌは最も濃厚に最も充實した生活を生きた。彼は各の刹那に、自から與へ得る限りの生命を與へ、また貪り得る限りの生命を貪つた。彼の生活は必ずしも快樂ではなかつた。必ずしも謂はゆる幸福ではなかつた。しかし彼の生活はエナジーの生活であつた。彼は生活に對して受け身でなかつた。また躊躇逡巡するものでもなかつた。彼は活力の與へるがまゝに與へ、活力の受けるがまゝに受けて、活力の波動の生活を生きた。彼は決して運命を口にしなかつた。彼は決して運命の前に慴伏したりするものではなかつた。けれども彼もまた、人間の愛は狂喜にして同時に絶望であると言つてゐる。魂の底の冷たく打ち克ちがたい何ものかを悲しんでゐる。而かもその事實は、彼がその悲しみを懷きつゝ尚且つ生命の力を信じたことを打ち消しはしない。

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Last updated : 2024/06/28