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紆余曲折
うよきょくせつ |
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作家
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作品
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中島敦 |
【環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――】
海岸から折れて一丁も行かない中に、目指す石の塁壁(るいへき)にぶつかる。鬱蒼(うっそう)たる熱帯樹に蔽(おお)われ苔(こけ)に埋もれてはいるが、素晴らしく大きな玄武岩の構築物だ。入口をはいってからがなかなか広い。苔で滑りやすい石畳路が紆余曲折(うよきょくせつ)して続く。室の跡らしいもの、井戸の形をしたものなどが、密生した羊歯(しだ)類の間に見え隠れする。塁壁の崩れか、所々に々(るいるい)たる石塊の山が積まれている。 |
芥川龍之介 |
【恋愛と夫婦愛とを混同しては不可ぬ】
婦人が殊に甚しいやうである。尤(もつと)も男子のやうな社会的生活をすることが少いから、婦人に於ける性の意義は男子のそれよりも重く、それだけに婦人が当然の帰結として恋愛を高調するのかも知れないが、実に馬鹿げたことである。恋愛といふものはそんなに高潔であり恒久永続するものではなくて、互に『変るまいぞや』『変るまい』と契つた仲でも、常に幾多の紆余曲折(うよきよくせつ)があり幻滅が伴ふものである。だから私は先に言うたやうにホリデーラヴを主張するのである。よしんば其の恋愛が途中の支障がなく、順調に芽を育まれて行つたにしても、結婚によつて、それは消滅し又は全く形を変へてしまふのである。
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小林一三 |
【東京宝塚劇場の再開に憶う】
次いで終戦となり、昭和二十年十二月廿四日に進駐軍のため接収され、比島戦線にて活躍して散った米国の新聞記者のアーニイ・パイルの名を冠したアーニイ・パイル劇場として、永らく米軍の用に供しておったのでありますが、その間紆余曲折はありましたが、幸い昭和三十年一月二十七日をもって接収を解除され東宝の手に戻ったのであります。
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長谷健 |
【天草の春】
しかもその島々の自然的配置が面白く、恐らく火山島だろうと思われる、奇石怪岩がいたるところに散在して、後で聞いたが、天草松島といわれているのも、さこそとうなずかれる風景であつた。船は、無人島らしい島々の間を紆余曲折していく。私は、移り行く風景の面白さに、時に松島を思い[#「思い」は底本では「思ひ」]、時に瀬戸内海を航行した日のことを、思い出しながら、吹きつける北風と、舷側に散る水沫をさけていた。
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宮本百合子 |
【夫婦が作家である場合】
プロレタリア婦人作家が、家庭の内では階級的立場の一致しない作家を良人として持っている実例が、私たちの周囲には一つならずある。そういう場合、その婦人作家の階級作家としての発展の道は、どのような紆余曲折を経るものであろうか。生活の実際問題としてそれ等は未だ解決されていない。それだけプロレタリア婦人作家として重大で困難な社会的実践の問題がふくまれていることを感じるのである。
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中井正一 |
【図書館法楽屋話】
四月八日の衆院本会議を通ったとき、全く私達は手を握り合ったのであった。思えば五年越しの紆余曲折のはての刀折れ矢つきた形の法案である。この回顧の上にのせて見て、はじめて、あの屁のような法案が意味をもち、それを喜ぶこころもわかって貰えるのである。
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豊島与志雄 |
【幻覚記】
歩きながら高声に物を考えるのは、一のリズムに身を投ずることである。私の心意も肉体も一のリズムに乗って、そのリズムが、或は紆余曲折しながら、或は飛躍しながら、進んで行く。然しそれには、何かの伴奏か、反響か、手応えが、ある筈である。
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小栗虫太郎 |
【人外魔境 水棲人(インコラ・パルストリス)】
そこで、懐中電燈がはじめて点された。ぐるりは、水苔(みずごけ)のついた軟かな土、ところどころに、埋れ木の幹が柱のようにみえている。三人は、それから足もとに気遣いながらじわりじわりと進んでいった。すると、紆余曲折(うよきょくせつ)しばらく往(い)ったところに右手の埋れ木にきざんだ文字と地図。あっと、ロイスが胸をおどらせてみれば……。
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国枝史郎 |
【銅銭会事変】
これがきわめて簡単な、銅銭会の縁起であって、今日に至るまでの紆余曲折が詳しく書物(ほん)には記されてあった。
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中里介山 |
【大菩薩峠 年魚市の巻】
わが宇治山田の米友も、このごろでは、かなり人情の紆余曲折(うよきょくせつ)にも慣れているから、距離と、歩数と、時間との翻弄(ほんろう)にも、かなりの忍耐を以て、ようやくめざすところの森蔭に来た時分には、黄昏(たそがれ)の色が予想よりは一層濃くなっていたことも是非がありません。
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