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容貌魁偉
ようぼうかいい |
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作家
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作品
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森鴎外 |
【余興】
代を譲った倅(せがれ)が店を三越まがいにするのに不平である老舗(しにせ)の隠居もあれば、横町の師匠の所へ友達が清元の稽古(けいこ)に往くのを憤慨している若い衆もある。それ等の人々は脂粉の気が立ち籠(こ)めている桟敷(さじき)の間にはさまって、秋水の出演を待つのだそうである。その中へ毎晩のように、容貌魁偉(ようぼうかいい)な大男が、湯帷子に兵児帯(へこおび)で、ぬっとはいって来るのを見る。これが陸軍少将畑閣下である。
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久生十蘭 |
【顎十郎捕物帳 かごやの客】
辻駕籠をはじめてからもう半年近くになるが、いっこう芽が出ないというのも、いわば因果応報(いんがおうほう)。アコ長のほうは、先刻ご承知の千成瓢箪(せんなりびょうたん)の馬印(うまじるし)のような奇妙な顔。とど助の方は、身長抜群(みのたけばつぐん)にして容貌魁偉(ようぽうかいい)。大眼玉の髭ッ面。これでは客が寄りつきません。
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国枝史郎 |
【郷介法師】
盗賊共は大恭悦で娘を手籠めにしようとした。頭目と見えて四十年輩の容貌魁偉の武士がいたが、ニヤニヤ笑って眺めている。娘はヒーッと悲鳴を上げ、逃げようとして(もが)いたが、これは逃げられるものではない。とうとう捉えられて担がれた。
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長谷川時雨 |
【日本橋あたり】
――おおなんと、それから長い長い月日が流れたか。松崎中佐といふ、見上げるやうな大きな、容貌魁偉の軍人さんにお逢ひしたのは近年だ。その方が、安城渡(あんじやうと)の激戰に戰死された松崎大尉の遺孤(ゐこ)だつたのだ。
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岡本綺堂 |
【中国怪奇小説集 夷堅志】
それからのち二年の春、宗は小児を連れて済南(さいなん)の章丘(しょうきゅう)へゆくと、路で胡服(こふく)をきた一人の僧に逢った。僧は容貌魁偉(ようぼうかいい)ともいうべき人で、宗にむかって突然に訊いた。
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海野十三 |
【火薬船】
「そうでしたかというところを見ると、貴公(きこう)は知らないと見えるね。――その法会に参加した人数は五十人あまり、法会の模様からさっすると、これは団体的葬儀の略式なるものであったということが分った。その中に一人、容貌魁偉(ようぼうかいい)にして、ももより下、両脚が切断されて無いという人物が混っていたそうだが、そういうはなしを貴公は聞いたことがないか。
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田畑修一郎 |
【医師高間房一氏】
高間家の先祖はもと、川上の小藩のお抱医であつたが、明治初年の廃藩と同時に医をやめて、此の河原町に移住した。高間家に残つてゐる古ぼけた一葉の写真によると、それは老後の殆ど死の一年前位の肖像ださうであるが、一人の容貌魁偉な、真白な髪をたらした、眼の柔和な老人が見える。
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田中英光 |
【オリンポスの果実】
練習帰りのある日。いつもの様に、独りとぼとぼ、歩いていると、背後から、飛ばしてきた古色蒼然(そうぜん)たるロオドスタアがキキキキ……と止って、なかから、噛(か)み煙草(たばこ)を吐(は)きだし、禿頭(はげあたま)をつきだし、容貌魁偉(ようぼうかいい)な爺(じい)さんが、「ヘロオ、ボオイ」と嗄(しゃが)れた声で、呼びかけ、どぎまぎしているぼくを、自動車に乗れ、と薦(すす)めるのです。
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中里介山 |
【大菩薩峠 恐山の巻】
――旅行券では、すっかり悄然返(しょげかえ)ったところの恐山出身の柳田平治に相違ないのです。この二つの黒法師は、黒法師っぷりとしてかえって調和がありました。田山白雲はすぐれて容貌魁偉(ようぼうかいい)であるのに、柳田平治は普通よりは小柄です。
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林不忘 |
【丹下左膳 こけ猿の巻】
その当時から、かたときもはなさない貧乏徳利を振りまわして、フラフラ山田の町中を威張ってあるいた。イヤ、山田の町の人が、おどろきましたね。何しろ、容貌魁偉(ようぼうかいい)、異様な酔っぱらいが、愉快だ愉快だと、毎日町じゅうをねって歩くんですから。
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