作 家
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作 品
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紫式部 與謝野晶子 訳 |
【源氏物語 末摘花】 三十日の夕方に宮家から贈った衣箱の中へ、源氏が他から贈られた白い小袖(こそで)の一重ね、赤紫の織物の上衣(うわぎ)、そのほかにも山吹(やまぶき)色とかいろいろな物を入れたのを命婦が持たせてよこした。 |
作者不詳 国民文庫 (明治44年) |
【義経記】 巻第七 砂金百両、「國の習にて候」とて、鷲の羽百尻、残る四人の山伏に、小袖一重づつ参らせて、三瀬の薬師堂へ送り奉る。 |
森鷗外 |
【堺事件】 「出格の御詮議を以て、一同士分のお取扱いを仰せ付けられる。依って絹服(けんぷく)一重(ひとかさね)ずつ下し置かれる」 こう言って目録を渡した。 |
森鷗外 |
【護持院原(ごじいんがはら)の敵討】 十一日にりよは中奥目見(なかおくめみえ)に出て、「御紋附黒縮緬(くろちりめん)、紅裏真綿添(もみうらまわたそひ)、白羽二重一重(しろはぶたへひとかさね)」と菓子一折とを賜(たまわ)った。同じ日に浜町の後室から「縞(しま)縮緬一反」、故酒井忠質室専寿院(ただたかしつせんじゅいん)から「高砂(たかさご)染縮緬帛(ふくさ)二、扇二本、包之内(つつみのうち)」を賜った。 |
楠山正雄 |
【鵺】 天子(てんし)さまはたいそう頼政(よりまさ)の手柄(てがら)をおほめになって、獅子王(ししおう)というりっぱな剣(つるぎ)に、お袍(うわぎ)を一重(ひとかさ)ね添(そ)えて、頼政(よりまさ)におやりになりました。 |
正岡子規 |
【かけはしの記】 妻籠(つまご)通り過ぐれば三日の間寸時も離れず馴れむつびし岐蘇(きそ)河に別れ行く。何となく名残惜まれて若し水の色だに見えやせんと木の間/\を覗きつゝ辿れば馬籠(まごめ)峠の麓に来る。馬を尋ぬれども居らず。詮方なければ草鞋はき直して下り来る人に里数を聞きながら上りつめたり。此山を越ゆれば木曾三十里の峡中を出づるとなん聞くにしばしは越し方のみ見かへりてなつかしき心地す。 白雲や青葉若葉の三十里 山を下れば驟雨颯然とふりしきりて一重の菅笠に凌ぎかね終に馬籠駅の一旅亭にかけこむ。夜に入れば風雨いよ/\烈しく屋根も破れ床も漂ふが如く覚えて航海の夢しば/\破らる。 |
三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編纂 |
【名人長二】 それに女という奴は嫁入りという大物入がありますからなア、物入と云やア娘も其の内何処かへ嫁に遣らなければなりませんが、其の時の箪笥(たんす)三重(みかさね)と用箪笥を親方に願いたい、何卒(どうか)心懸けて木の良(い)いのを見付けてください」 |
中里介山 |
【大菩薩峠 みちりやの巻】 「いいねえ、与八さん、いいだろう、お前の頭の上へ石を積んだって、かまやしないね、一重(いちじゅう)組んでは父のため、二重組んでは母のため……なんだから」 |
中里介山 |
【大菩薩峠 他生の巻】 清澄の茂太郎は、ハイランドの月見寺の三重の塔の九輪(くりん)の上で、しきりに大空をながめているのは、この子は、月の出づるに先立って、高いところへのぼりたがる癖がある。 |
竹久夢二 |
【どんたく 絵入り小唄集】 お墓(はか)のうへに雨がふる。 あめあめふるな雨ふらば 五重(ぢゆう)の塔(たふ)に巣(す)をかけた かわい小鳥(こどり)がぬれよもの。 松の梢(こずゑ)を風(かぜ)がふく。 かぜかぜふくな風ふかば けふ巣(す)だちした鳶(とび)の子(こ)が 路(みち)をわすれてなかうもの。 |
作者不詳 国民文庫 (明治43年) 校訂: 古谷知新 |
【源平盛衰記】 斉院次官親義、陪膳仕て肴に馬を引、大宮侍の一?、工藤左衛門尉祐経一人して是を引、其日は兵衛佐の館へは向はず、五間の萱屋を理て、椀飯ゆたかに、厚絹二両、小袖十重、長櫃に入て傍に置。 |