作 家
|
作 品
|
芥川龍之介 |
【邪宗門】 中でも殊に空恐ろしく思われたのは、ある女房の夢枕に、良秀(よしひで)の娘の乗ったような、炎々と火の燃えしきる車が一輛、人面(じんめん)の獣(けもの)に曳かれながら、天から下(お)りて来たと思いますと、その車の中からやさしい声がして、「大殿様をこれへ御迎え申せ。」と、呼(よば)わったそうでございます。 |
芥川龍之介 |
【地獄變】 五體を貫(つらぬ)かれて居りましたが)中空(なかぞら)から落ちて來る一輛の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾(すだれ)の中には、女御、更衣にもまがふばかり、綺羅びやかに裝つた女房が、丈の黒髮を炎の中になびかせて、白い頸(うなじ)を反(そ)らせながら、悶え苦しんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦を偲ばせないものはございません。 |
太宰治 |
【列車】 一九二五年に梅鉢工場といふ所でこしらへられたC五一型のその機關車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寢臺車、各々一輛づつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざつと二百名からの旅客と十萬を越える通信とそれにまつはる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から青森へ向けて走つた。時に依つて萬歳の叫喚で送られたり、手巾(ハンカチ)で名殘を惜まれたり、または嗚咽でもつて不吉な餞を受けるのである。列車番號は一〇三。 |
竹久夢二 |
【砂がき】 ある時代に空想したやうに一輛の馬車に、バイブル一卷、バラライカ一挺、愛人と共に荒野を漂ふジプシーの旅に任しゆく氣輕さは、いまはあまりに寂しい空想である。けれど、煉瓦塀の上にガラスの刄を植ゑた邸宅の如きが凡てなくならない限り、自由住宅の時代は來ないであらう。 |
夏目漱石 |
【自転車日記】 余の車は両君の間に介在して操縦すでに自由ならず、ただ前へ出られるばかりと思いたまえ、しかるに出られべき一方口が突然塞(ふさが)ったと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭(とたん)に右の方より不都合なる一輛(いちりょう)の荷車が御免(ごめん)よとも何とも云わず傲然(ごうぜん)として我前を通ったのさ、今までの態度を維持すれば衝突するばかりだろう、 |
片岡義男 |
【夏と少年の短篇】 金曜日の午後、高等学校からの帰り道、いつも乗る私鉄の十二両連結の電車のなかほどの車両から、三年生の伊藤洋介はプラットフォームに降りた。どの車両からも、何人かの乗客が、それぞれになぜか疲労した様子で外へ出てきた。線路をむこうへまたぐ木造の建物が、プラットフォームの端にあった。誰もがそこにむけて歩いた。 |