作 家
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作 品
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森鷗外 |
【山椒大夫】 【山椒大夫】 |
石川啄木 |
【赤痢】 有難いお話でな。その時お持になつた色々の調度、箪笥、長持、總てで以て十四荷- - 一荷は擔ぎで、畢竟(つまり)平たく言へば十四擔ぎあつたと申す事ぢや。 |
佐々木味津三 |
【旗本退屈男 第五話 三河に現れた退屈男】 いかな大藩の御大名方もこの街道を通りまする析、御陣屋の御門が閉まっておりさえすれば、通行勝手、半分なりとも御門が開いておりましたならば、御挨拶のしるしといたして御音物(ごいんもつ)を島台に一荷、もしも御殿様が御門の前にでもお出ましでござりましたら、馬に一駄の御貢物(おみつぎもの)を贈らねばならぬしきたりじゃそうにござります。 |
薄田泣菫 |
【艸木虫魚】 小六はこの男が仕事もなくては、定めし居つらかろうと、毎日逢坂の水を一荷ずつ水桶で家に運ばせることにした。それを聞いた世間はよくはいわなかった。 |
與謝野晶子 |
【私の生ひ立ち】 大きい松の木の下で、瓦を囲つて枯枝を焚いた上には大きい釜が掛けられてあつて、松茸御飯の湯気がぶうぶうと蓋の間から、秋の青空めがけて上つて居るのでした。其処(そこ)へまた下男の一人は大きい重箱二つを一荷にして舁(かつ)いで来ました。 |
紫式部 與謝野晶子訳 |
【源氏物語 松風】 「たいそうでない纏頭の品があれば」 と言ってやった。明石(あかし)は手もとにあった品を取りそろえて持たせて来た。衣服箱二荷であった。お使いの弁は早く帰るので、さっそく女装束が纏頭に出された。 |
作者不詳 国民文庫 (明治43年) 校訂: 古谷知新 |
【源平盛衰記】 或説には、那智の客僧等是を憐て、滝奥の山中に庵室を造りて隠し置たり。其所今は広き畑と成て、彼人の子孫繁昌しておはす。毎年に香を一荷那智へ備ふる外は別の公事なし。 |
吉川英治 |
【私本太平記 婆娑羅帖】 「相違ございません。巻絹十 |