作 家
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作 品
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泉鏡花 |
【七宝の柱】 この須弥壇(しゅみだん)を左に、一架(いっか)を高く設けて、ここに、紺紙金泥(こんしきんでい)の一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは 金泥銀泥(きんでいぎんでい)で、本経(ほんきょう)の図解を描く。…… 清麗巧緻(せいれいこうち)にしてかつ神秘である。 |
泉鏡花 |
【星あかり】 濱(はま)の方(はう)へ五六間(けん)進(すゝ)むと、土橋(どばし)が一架(ひとつ)、並(なみ)の小(ちひ)さなのだけれども、 滑川(なめりがは)に架(かゝ)つたのだの、長谷(はせ)の行合橋(ゆきあひばし)だのと、おなじ名(な)に聞(きこ)えた亂橋(みだればし)といふのである。 |
内藤湖南 |
【文溯閣の四庫全】 各板挾みには表紙と同色の絹の帶を以てこれを竪に締め、それを更に小箱の内に收め、この箱九箇を一棚の上に載す。その棚は四層もしくは六層にて、これを第一架、第二架等に分つ。たとへば、經部第一架、史部第一架などと呼び、これが檢索の便として、四庫全書分架圖四册を備ふ。此の書は書架の排列せられたる儘を圖して、各箱中に收まれる書名も亦位置を違へず記されたれば、何れの書が經若しくは史の第何架、第何層、第幾箱目にあるかは一目して瞭然たり。 |
桑原隲藏 |
【大秦景教流行中國碑に就いて】 今の佛殿は兵燹後の再建で、見る影もないが、その後庭には、もと本殿の在つた所と見え、廢磚殘甓累々たる間に、明の萬暦十二年(西暦一五八四)に建てた、精巧な一架の石坊が遺つて、祇園眞境と題してある。その前面に明の成化・嘉靖頃の碑石三四方、何れも寺の由來を誌したものがある。 |