作 家
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作 品
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菊池寛 |
【恩讐の彼方に】 市九郎が近づくと、その中の一人は、早くも市九郎の姿を見つけて、 「これは、よいところへ来られた。非業の死を遂げた、哀れな亡者じゃ。通りかかられた縁に、一遍の 回向(えこう)をして下され」と、いった。 非業の死だときいた時、 剽賊(ひょうぞく)のためにあやめられた旅人の死骸ではあるまいかと思うて、市九郎は過去の悪業を思い起して、刹那に湧く悔恨の心に、両脚の 竦(すく)むのをおぼえた。 |
菊池寛 |
【恩讐の彼方に】 「一年に三、四人、多ければ十人も、思わぬ憂き目を見ることがある。無双の難所ゆえに、風雨に 桟(かけはし)が朽ちても、修繕も思うにまかせぬのじゃ」と、答えながら、百姓たちは死骸の始末にかかっていた。 市九郎は、この不幸な遭難者に一遍の経を読むと、足を早めてその鎖渡しへと急いだ。 そこまでは、もう一町もなかった。 |
牧逸馬 |
【浴槽の花嫁】 そのために、屍(し)体の解剖を主張した伯父パトリック・マンデイの要求も斥(しりぞ)けられて、フレンチ医師のとおり一遍の死亡検案書がそのまま通った。 |
折口信夫 |
【山の音を聴きながら】 まして旅行者自身の心の推移などには、貪著を持たないやうな書きぶりをすることである。謂はゞ叙事一遍に過ぎない。近代の紀行は、殊に漢文学徒の書いたものを目において居る。 |
夏目漱石 |
【坊っちゃん】 兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍(いっぺん)ぐらいの割で喧嘩(けんか)をしていた。 |
夏目漱石 |
【坊っちゃん】 「もう何遍落第したかね。三遍か」 「馬鹿を申せ」 「じゃ二遍か」 「なんだ、ちゃんと知ってる癖に。はばかりながら落第はこれでたった一遍だ」 「一度受けて一遍なんだから、これからさき……」 「何遍やるか分らないとなると、おれも少々心細い。ハハハハ。時に僕の雅号はそれでいいが、君は全体何をするんだい」 |