作 家
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作 品
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夏目漱石 |
【吾輩は猫である】 彼等は毎朝主人の食う麺麭(パン)の幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺(さとうつぼ)が卓(たく)の上に置かれて匙(さじ)さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙(ひとさじ)の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少(しば)らく両人(りょうにん)は睨(にら)み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間(ま)に一杯一杯一杯と重なって、ついには両人(ふたり)の皿には山盛の砂糖が堆(うずたか)くなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼(まなこ)を擦(こす)りながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。 |
太宰治 |
【逆行】 あずきかゆは作られた。それは、お粥(かゆ)にゆで小豆を散らして、塩で風味をつけたものであった。老人の田舎のごちそうであった。眼をつぶって仰向のまま、二匙(さじ)すすると、もういい、と言った。ほかになにか、と問われ、うす笑いして、遊びたい、と答えた。老人の、ひとのよい無学ではあるが利巧な、若く美しい妻は、居並ぶ近親たちの手前、嫉妬(しっと)でなく頬をあからめ、それから匙を握ったまま声しのばせて泣いたという。 |
太宰治 |
【斜陽】 「肺炎になるかも知れませんでございます。けれども、肺炎になりましても、御心配はございません」と、何だかたより無い事をおっしゃって、注射をして下さって帰られた。翌る日になっても、お母さまのお熱は、さがらなかった。和田の叔父さまは、私に二千円お手渡しになって、もし万一、入院などしなければならぬようになったら、東京へ電報を打つように、と言い残して、ひとまずその日に帰京なされた。私はお荷物の中から最小限の必要な炊事道具を取り出し、おかゆを作ってお母さまにすすめた。お母さまは、おやすみのまま、三さじおあがりになって、それから、首を振った。 |
太宰治 |
【斜陽】 朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽(かす)かな叫び声をお挙げになった。「髪の毛?」スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。「いいえ」お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。ヒラリ、という形容は、お母さまの場合、決して誇張では無い。婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。弟の直治(なおじ)がいつか、お酒を飲みながら、姉の私に向ってこう言った事がある。 |