作 家
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作 品
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芥川龍之介 |
【女体】 彼の行く手には、一座の高い山があった。それがまた自(おのずか)らな円(まる)みを暖く抱いて、眼のとどかない上の方から、眼の先の寝床の上まで、大きな鍾乳石(しょうにゅうせき)のように垂れ下っている。 |
芥川龍之介 |
【不思議な島】 僕は長椅子に寝ころんだまま、その朦朧(もうろう)と煙(けぶ)った奥に何があるのか見たいと思った。すると念力(ねんりき)の通じたように、見る見る島の影が浮び出した。中央に一座の山の聳えた、円錐(えんすい)に近い島の影である。しかし大体の輪郭(りんかく)のほかは生憎(あいにく)何もはっきりとは見えない。 |
泉鏡花 |
【高野聖】 向う岸はまた一座の山の裾(すそ)で、頂の方は真暗(まっくら)だが、山の端(は)からその山腹を射る月の光に照し出された辺(あたり)からは大石小石、栄螺(さざえ)のようなの、六尺角に切出したの、剣(つるぎ)のようなのやら、鞠(まり)の形をしたのやら、目の届く限り残らず岩で、次第に大きく水に(ひた)ったのはただ小山のよう。 |
小島烏水 |
【上高地風景保護論】 日本アルプス第一の美麗なる峡谷は、荒廃し、欝積熱烈の緑の焔は、白ッちゃけた灰になり、その上に焼岳の降灰が積もって、生々欣栄(きんえい)の姿を呈した「生の谷」が醜い「死の谷」に変る日も遠くには来ないであろう、一戸の温泉宿はどうなってもいい、一座の槍ヶ岳は、あるいはどうなってもいいかも知れぬ、人間霊魂の内部に潜在する自然に対する驚異の心の消耗は、やがて人情の上に倒影して、恐怖すべきほど、乾燥にして露骨なる時代を、荒廃の谷地に象徴されはしまいか。 |
小島烏水 |
【日本山岳景の特色】 今日見られるように高原川(神通川)とは別な、梓川(越後に入って信濃川)となり、硫黄岳は今日では、両川分水嶺の一座になっているが、湖底が乾いて洲となり、河原となり、残丘となって、 |
泉鏡花 |
【七宝の柱】 この柱が、須弥壇(しゅみだん)の四隅(しぐう)にある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座(しざ)あって、壇上には弥陀(みだ)、観音(かんおん)、勢至(せいし)の三尊(さんぞん)、二天(にてん)、六地蔵(ろくじぞう)が安置され、壇の中は、真中に清衡(きよひら)、左に基衡(もとひら)、右に秀衡(ひでひら)の棺(かん)が納まり、ここに、各一口(ひとふり)の剣(つるぎ)を抱(いだ)き、鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の印(いん)を帯び、錦袍(きんぽう)に包まれた、三つの屍(しかばね)がまだそのままに横(よこた)わっているそうである。 |
国木田独歩 |
【「武蔵野」】 されば林とても数里にわたるものなく否(いな)、おそらく一里にわたるものもあるまい、畑とても一眸(いちぼう)数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃(いっけい)の畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在してさらにこれを分割している。 |
国枝史郎 |
【高島異誌】 天蒼々と快く晴れ、春日猗々として風暖く、河辺、山傍、又田野には、奇花芳草欝乎として開き、風景秀麗画図の如し。行く行く一座の高楼を見る。巍々たる楼門、虹の如き長廊、噴泉玉池珍禽異獣、唱歌の声は天上より起こり、合唱の音は地上より湧く、忽ち、美人と童子とありて、遙かに望見して一揖す。 |
内藤湖南 |
【卑彌呼考】 第一の伊支馬といへる語には神名帳には大和國平群郡に往馬坐伊古麻都比古(イコマニマスイコマツヒコ)ノ神社二座あり、栗田氏の神祇志料に、北山鈔を引て、凡そ大甞祭膽駒社の神部をして火鑽木を奉らしむといひ、又神名帳頭注を引き、卜部龜卜次第奧書を參して、卜部氏又此神を祭て、龜卜火燧木(ヒキリキ)ノ神と云といへり。 |
内藤湖南 |
【近畿地方に於ける神社】 攝津國島下郡の新屋坐天照御魂神社は栗田さんの説では天火明命に決めてしまつた。けれども是は三座に神樣がなつて居りまして、其の中の一座だけは土地の昔からの傳へでは天照大神としてあります。 |
岡本綺堂 |
【半七捕物帳 唐人飴】 江戸の劇場は由緒ある三座に限られていたが、神社仏閣の境内には宮芝居または宮地芝居と称して、小屋掛けの芝居興行を許されていた。 |
岡本綺堂 |
【半七捕物帳 唐人飴】 鳳閣寺の宮芝居は坂東小三という女役者の一座で、ここらではなかなかの人気者であることを半七は知っていた。 |
作者不詳 国民文庫 (明治43年) 校訂: 古谷知新 |
【源平盛衰記】 忽而は君の所詮なき御心ばえにて、澄憲を愛し咲はせ給はんとて、係述懐はせられさせ給也。さればとて一座の御導師を、いかにとせさせ給べきぞ、今日より後は、かる/゛\しき事、上にも下にも止らるべき也とぞ申合れける。 |