作 家
|
作 品
|
作者不詳 国民文庫 (明治44年) |
【義経記】 巻第七 御内の勤進は如何様に候べき」と申しければ、富樫「よくこそ御出で候へ」とて、加賀〔の〕上品五十疋、女房の方より罪障懺悔の為にとて、白袴一腰、八花形に鋳たる鏡、さては家子郎等女房達、下女に至るまで、思ひ思ひに勤進に入り、総じて冥帳につく百五十人、「勤進の物は、只今賜はるべく候へども、来月中旬に上り候はんずれば、其時賜はり候はん」とて、預け置きてぞ出でにける。 |
森鷗外 |
【護持院原の敵討】 江戸ではまだ敵討の願を出したばかりで、上(かみ)からそんな沙汰もないうちに、九郎右衛門は意気揚から拵附(こしらえつき)の刀一腰(ひとこし)と、手当金二十両とを貰って、姫路を立った。それが正月二十三日の事である。 |
森鷗外 |
【佐橋甚五郎(さはしじんごろう)】 饗応に相判などはなかった。膳部(ぜんぶ)を引く頃(ころ)に、大沢侍従(おおさわじじゅう)、永井右近進(ながいうこんのしん)、城織部(じょうおりべ)の三人が、大御所のお使として出向いて来て、上(かみ)の三人に具足三領、太刀三振(たちみふり)、白銀三百枚、次の三人金僉知(きんせんち)らに刀三腰(とうみこし)、白銀百五十枚、上官二十六人に白銀二百枚、中官以下に鳥目(ちょうもく)五百貫を引物(ひきもの)として贈(おく)った。 |
森鷗外 |
【ぢいさんばあさん】 伊織は京都で其年の夏を無事に勤めたが、秋風の立ち初める頃、或る日寺町通の刀劍商の店で、質流れだと云ふ好い古刀を見出した。兼て好い刀が一腰欲しいと心掛けてゐたので、それを買ひたく思つたが、代金百五十兩と云ふのが、伊織の身に取つては容易ならぬ大金であつた。 |
横瀬夜雨 |
【天狗塚】 酒丸安樂寺境内裏の笹山にて緋毛氈敷二人自害一人は宇都宮左衛門 傍に肩先鐵砲受候者一人居候を生捕斬首 宇都宮は紫緘の革の鎧陣羽織を着其上ござ着て打たれ申候大小一腰金子二十兩有之 西岡自殺鎧傍に捨あり金銀糸にて縫候もの着用外三人亦綸子金銀の縫也 栗原にてきり取候十二の首は俵に詰め馬につけ土浦へ送申候 |
中里介山 |
【大菩薩峠 伯耆の安綱の巻】 「では大事に持っておいで。そうして三日たったらきっと返してくれるだろうね」 「それはもう間違いはございません」 「刀や脇差は幾本も幾本もあるのだけれど、この一腰(ひとこし)はお父様が、わけても大事にしておいでなのだから」 「それは、もうよく存じておりまする、三日たてば間違いなくお返し申しまする」 幸内の前へお銀様は、手ずから長い桐の箱をさしおきました。 |
中里介山 |
【大菩薩峠 白骨の巻】 こうして昨日と同じように、甘んじて一人で留守をうけごうたお銀様は、お角母子が出て行ってしまうと、急に手紙を書きはじめ、それが終ると、そわそわとして身の廻りをこしらえにかかったのを見ると、着ていた今までの女衣裳を脱ぎ捨てて、戸棚から取り出した行李(こうり)の蓋(ふた)をあけて、着替えをして見ると、それは黒紋附の男物ずくめであります。その上に袴まで穿いて、なお戸棚の奥から取り出した細身の大小一腰、最後に寝るから起きるまでかぶり通しのお高祖頭巾(こそずきん)を、やはり男のかぶる山岡頭巾というものにかぶり直して、眼ばかりを現わしました。 |
佐々木味津三 |
【旗本退屈男 第七話仙台に現れた退屈男】 いぶかっている退屈男の方をじろりじろりと流し目に見眺めながら、矢場主英膳がやがてそこに取り出したのは、それらを引き出物の景物にするらしく、先ず第一に太刀がひと口(ふり)、つづいて小脇差が二腰、飾り巻の弓が三張り、それに南蛮鉄(なんばんてつ)の鉄扇五挺を加えて都合十一品でした。 |
林 不忘 |
【丹下左膳 乾雲坤竜の巻】 どうせ孫六をさがすなら、この巨匠が、臨終の際まで精根を涸(か)らし神気をこめて鍛(う)ったと言い伝えられている夜泣きの大小、乾雲丸と坤竜丸(こんりゅうまる)を……というので、全国に手分けをして物色すると、いまその一腰(ひとふり)は、江戸根津権現のうら曙の里の剣道指南小野塚鉄斎方に秘蔵されていると知られたから、江戸の留守居役をとおして金銀に糸目をつけずに交渉(あた)らせてみたが、もとより伝家の重宝、手を変え品をかえても、鉄斎は首を縦にふらない。 |