作 家
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作 品
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紫式部 與謝野晶子訳 |
【源氏物語 花宴】 「特に今度のために稽古(けいこ)などはしませんでした。ただ宮廷付きの中でのよい楽人に参考になることを教えてもらいなどしただけです。何よりも頭中将の柳花苑(りゅうかえん)がみごとでした。話になって後世へ伝わる至芸だと思ったのですが、その上あなたがもし当代の礼讃(らいさん)に一手でも舞を見せてくださいましたら歴史上に残ってこの御代(みよ)の誇りになったでしょうが」 |
有島武郎 |
【或(あ)る女(前編)】 十九でいながら十七にも十六にも見れば見られるような華奢(きゃしゃ)な可憐(かれん)な姿をした葉子が、慎みの中にも才走った面影(おもかげ)を見せて、二人(ふたり)の妹と共に給仕(きゅうじ)に立った。そしてしいられるままに、ケーベル博士からののしられたヴァイオリンの一手も奏(かな)でたりした。 |
島崎藤村 |
【千曲川のスケッチ
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直木三十五 |
【巌流島】 慶長十七年四月、小倉へ来た武蔵は、細川家の重臣、長岡佐渡ノ主興長(おきなが)を訪うた。興長は父無二斎の門弟である。そして、 「佐々木小次郎と一手合せたいから、上へ願ってくれないか」 と申入れた。細川三斎は 頗(すこぶ )る武芸を好んだ人であった。岩流を独創した小次郎と二天一流を発明した武蔵とは、武道に 携(たずさわ )る者として知らない者の無い名である。興長の話を聞いてすぐ許した。そして、 「日は四月十三日、辰の上刻(午前八時)、場所は船島に於いて」 と云う事になった。 |
織田作之助 |
【聴雨】 ある時、坂田はかう語つた。それ故、彼は駒の音を立てるやうなことは決してしない。 九四歩もまたフワリと音もなく突かれた手であつた。いはば無言の手である。けれど、この一手は「坂田の将棋を見とくなはれ。」といふ声を放つて、暴れまはり、のた打ちまはつてゐるやうな手であつた。前人未踏の、奇想天外の手であつた。 木村はあつと思つた。なるほど変つた手で来るだらうとは予想してゐた。が、まさか第一着手にこんな未だかつて将棋史上現はれたことのない手を指して来るとは、思ひも掛けなかつた。 坂田さんの最初の一手九四歩は、私の全然予想せざる着手で、奇異な感に打たれた。」と、木村はあとで感想を述べてゐるが、恐らくその通りであつたらう。 |
中里介山 |
【大菩薩峠
間の山の巻】 米友の天性は小兵(こひょう)で敏捷(びんしょう)。この網受けに割振(わりふ)られるものは、まず槍の使い方を習わせられるのを常例とする。米友はその常例によって、旅に来た浪人から「淡路流(あわじりゅう)」の槍の一手を教えられたが、三日教えられると直ぐにその秘伝(こつ)を会得(えとく)してしまいました。 |
夢野久作 |
【能とは何か
】 後世の人々の血も涙も無い観賞眼、又は演者の芸術的良心によって益々芸術的に光ったものとなされて行く。……全体の調和と変化が極く必要な部分だけ残されて、曲の緊張味とか、余裕とかいうものが、あくまでも適当に按配され、シックリさせられて行く。その装束の極めて小さな部分、舞の一手、謡の一句一節、鼓の手の一粒に到るまでも、古名人が代を重ねて洗練して来た芸術的良心の純真純美さが籠(こ)もって来る。 |