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放蕩無頼
ほうとうぶらい |
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作家
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作品
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中島敦 |
【弟子】
可笑(おか)しいことに、子路の誇(ほこ)る武芸や膂力(りょりょく)においてさえ孔子の方が上なのである。ただそれを平生(へいぜい)用いないだけのことだ。侠者子路はまずこの点で度胆(どぎも)を抜(ぬ)かれた。放蕩無頼(ほうとうぶらい)の生活にも経験があるのではないかと思われる位、あらゆる人間への鋭(するど)い心理的洞察(どうさつ)がある。
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菊池寛 |
【若杉裁判長】
若杉裁判長が、いかにも人情を噛み分けた、同情の溢(あふ)るるような判決を被告に下した実例は数え切れないほどあります。放蕩無頼(ほうとうぶらい)の兄が、父にたびたび無心をした揚げ句、父が応ぜぬのを憤って、棍棒を振って、打ってかかったのを居合せた弟が見るに見兼ね、棍棒をもぎとるなり、兄をただ一打ちに打ち殺した事件の裁判なども、若杉裁判長の名声を挙げた、名裁判の一つでありました。
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福沢諭吉 |
【経世の学、また講究すべし】
また日本にては、貧家の子が菓子屋に奉公したる初には、甘(かん)をなめて自から禁ずるを知らず、ただこれを随意に任してその飽くを待つの外に術(すべ)なしという。また東京にて花柳に戯れ遊冶(ゆうや)にふけり、放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして、必ず田舎漢(いなかもの)に多し。しかも田舎にて昔なれば藩士の律儀(りちぎ)なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るること少なき者に限るが如し。これらの例をかぞうれば枚挙にいとまあらず。あまねく人の知るところにして、いずれも皆人生奇異を好みて明識を失うの事実を証するに足るべし。
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福沢諭吉 |
【学校の説 (一名、慶応義塾学校の説)】
一、私塾には黜陟・与奪の公権なきがゆえに、人生天稟(てんぴん)の礼譲に依頼して塾法を設け、生徒を導くの外、他に方便なし。人の義気・礼譲を鼓舞せんとするには、己(おの)れ自からこれに先だたざるべからず。ゆえに私塾の教師は必ず行状よきものなり。もし然らずして教師みずから放蕩無頼を事とすることあらば、塾風たちまち破壊し、世間の軽侮をとること必(ひっ)せり。その責(せめ)大にして、その罰重しというべし。私塾の得、一なり。
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宮本百合子 |
【C先生への手紙】
女性の持つべき総ての特性を完全に育てられては居りません。従って、彼女等は、尊敬すべき良人を守って、超然と立つ勇気も無ければ、放蕩無頼な良人をして涙を垂れさせる、尊き憤りもございません。従順と、屈従との差を跨き違える人間は、自分の何事を主張する権威も持たない薄弱さを、「私は女だから」と云う厭うべき遁辞の裡に美化しようとするのみならず、小溝も飛べない弱さを、優美とし「珍重」する(特に珍重という言葉をつかいます、何故なら、人間は、畸形な小猫をも、その畸形なるがために珍重致しますから)男性は、その遁辞を我からあおって、自分等の優越を誇って居ります。
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三遊亭圓朝 |
【真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)】
惣次郎の瓜畑を通り掛った人は山倉富五郎(やまくらとみごろう)という座光寺源三郎の用人役であって、放蕩無頼にして親には勘当され、其の中(うち)座光寺源三郎の家は潰れ、常陸(ひたち)の国に知己(しるべ)があるから金の無心に行ったが当(あて)は外れ、少しでも金があれば素(もと)より女郎でも買おうという質(たち)、一文なしで腹が空(へ)って怪しい物を着て、小短いのを帯(さ)して、心(しん)の出た二重廻(ふたえまわ)りの帯をしめて暑くて照り付くから頭へ置手拭をして時々流れ川の冷たい水で冷(ひや)して載せ、日除(ひよけ)に手を出せば手が熱くなり、腕組みをすれば腕が熱し、仕様がなくぶらり/\と参りました。
引き続きお聞(きゝ)に入れまするは、羽生村の名主惣次郎を山倉富五郎が手引をして、安田一角と申す者に殺させます。是は富五郎が惣次郎の女房お隅に心底(ぞっこん)惚れておりましても、惣次郎があるので邪魔になりますから、寧(いっ)そかたづけて自分の手に入れようという悪心でござりますが、田舎にいて名主を勤めるくらいであるから惣次郎も剣術の免許ぐらい取って居ります。富五郎は放蕩無頼で屋敷を出る位で、少しも剣術を知りませんから、自分で殺す事は出来ません、茲(こゝ)で下手でも安田一角という者は、剣術の先生で弟子も持っているから、 |
三遊亭圓朝 |
【松と藤芸妓の替紋】
團十郎(だんじゅうろう)の摺物(すりもの)や会の散(ちら)しが張付けて有る中に、たった一枚肉筆の短冊(たんざく)が有りましたから、その歌を見ると「背くとも何か怨みん親として教えざりけんことぞ口惜(くや)しき」という歌が書いて有ったのを見て、奧州屋新助は恟(びっく)り致しましたと云うのは、自分が二十四歳の時に放蕩無頼(ほうとうぶらい)で父も呆れ、勘当をすると云った時に、此の短冊を書いて僕に渡し、汝(おのれ)の様な親に背いた放蕩無頼の奴は無いが決して貴様を怨みん、己(おれ)の教えが悪いによって左様な道楽の者に成ったのだ、此の短冊は己(わ)が形見で有るから、是を持って何処(どこ)へでも往(い)けと云って、流石(さすが)の父も涙を含んで私(わし)の手に渡した時に、若気(わかげ)の至りとは云いながら手にだに受けず、机の上に置去りにし、
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三遊亭圓朝 |
【政談月の鏡】
清「はあー娘は面目ないので身を投げたか」金「いや昨夜(ゆうべ)飛込んだものが然(そ)う急に浮く訳のものじゃアない、似た人は世間に幾らも有る、お筆さんはよもや死んなさりゃアしまい、心配なさんな」 清左衞門は実に呆然(ぼんやり)して、娘は盗賊(どろぼう)の汚名を受けこれを恥かしいと心得て入水(じゅすい)致した上は最早世に楽(たのし)みはないと遺書(かきおき)を認(したゝ)め、家主(いえぬし)へ重ね/″\の礼状でございます、其の儘浪宅をさまよい出(い)で諸方を探したが知れん。不図(ふと)気附いたは高奈部(たかなべ)の家の姪(めい)は放蕩無頼の女で、十六位から浮気心が有って、只今は女郎に成って居ると云う事だが、折々先方から手紙が来て、私(わし)に知らさんように手紙の贈答(やりとり)をして居ったが、万一(ひょっと)したら行(い)き宜(い)いから左様な処へでも行きはしまいかと、是から吉原へ這入って彼処此処(あちこち)を探して歩行(ある)いたが分りません。店先を覗(のぞ)きながら段々来て、江戸町一丁目の辨天屋の前まで来ました。 |
織田作之助 |
【世相】
「十銭……? 十銭何(なん)だ?」「十銭芸者……。文士のくせに……」知らないのかという。 「やはり十銭漫才や十(テン)銭寿司の類(たぐい)なの?」 帰るといったものの暫らく歩けそうになかったし、マダムへの好奇心も全く消えてしまっていたわけではない。「風俗壊乱」の文士らしく若気の至りの放蕩無頼を気取って、再びデンと腰を下し、頬杖ついて聴けば、十銭芸者の話はいかにも夏の夜更けの酒場で頽廃の唇から聴く話であった。 語っているマダムの顔は白粉がとけて、鼻の横にいやらしくあぶらが浮き、息は酒くさかった。ふっと顔をそむけた拍子に、蛇の目傘をさした十銭芸者のうらぶれた裾さばきが強いイメージとなって頭に浮んだ。現実のマダムの乳房への好奇心は途端に消えて、放蕩無頼の風俗作家のうらぶれた心に降る苛立たしい雨を防いでくれるのは、もはや想像の十銭芸者の破れた蛇目傘であった。これは書けると、作家意識が酔い、酒の酔は次第に冷めて行った。 |
国枝史郎 |
【名人地獄】
由来造酒は尾張国、清洲在の郷士(ごうし)の伜(せがれ)で、放蕩無頼且つ酒豪、手に余ったところから、父が心配して江戸へ出し、伯父の屋敷へ預けたほどであった。しかしそういう時代から、剣技にかけては優秀を極め、ほとんど上手(じょうず)の域にあった。
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中里介山 |
【大菩薩峠 如法闇夜の巻】
けれども、このたびの慶事の噂が、お松の耳にはあまりに突飛(とっぴ)に聞えたものですから、多少考えさせられないわけにはゆきませんでした。今まで放蕩無頼に身を持ち崩して、いったん持った奥方を去ったという主膳が、今になって女房を迎えようとする心持がお松にはわかりませんでした。それから、この殿様を夫に持とうという女はどういう人であろうか、その人の気も知れないように思いました。 |
岡本綺堂 |
【中国怪奇小説集 宣室志(唐)】
「因果(いんが)応報という仏氏の教えを今という今、あきらかに覚りました。わたくしの若いときは放蕩無頼(ほうとうぶらい)の上に貧乏でもありましたので、近所の人びとの財物を奪い取った事もしばしばあります。馬に乗り、弓矢をたずさえ、大道(だいどう)を往来して旅びとをおびやかしたこともあります。そのうちに或る日のこと、一人の少年が二つの大きい嚢(ふくろ)を馬に載せて来るのに逢いました。
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佐々木味津三 |
【右門捕物帖 耳のない浪人】
それがまたほんとうに抜いたとならば掛け値のない事実なんだから、もし五人の者がもう少しむっつり右門の名声に親しかったらそんな向こう見ずもしなかったのでありましょうが、いうように仲間を討たれたさか恨みに思い上がってでもいたのか、それともまた、せっかくくふうした商売を妨げられた恨みに破れかぶれとなっていたものか、あるいはみずから名のったごとき南部藩食いつめの、放蕩無頼上がりという愚にもつかない肩書きにうわずっていたものか、中なるひとりを中心に、左右ふたりずつ両翼八双の刃形をつくりながら、ひたひたとつまさき立ちで押し迫ってきたものでしたから、右門はついに一声鋭く叫びました。
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甲賀三郎 |
【黄鳥の嘆き ――二川家殺人事件】
「よし、じゃ聞こう」「僕が死ぬと、誰が二川家を相続するのだ」 「いつもいう通り、奥さんに相続権があるが、それでは二川家は絶えて終う。重武君が相続する順になるだろう」 「それが僕は堪えられないんだ。あの放蕩無頼の重武に、二川家を相続させる事は、いかなる理由があっても嫌だ。卑(いや)しい女を母親に持って、居所も定めず放浪している人間なんかに、二川家を継がしてなるものか。そんな事をしたら、奴は朝子をどんな眼に会せるか分らない」 |
林不忘 |
【口笛を吹く武士】
線の険(けわ)しい、鋭角的な顔だ。まだ四十になったばかりなのに、だらしなくあいた胸元に覗いている黒い、ゆたかな胸毛のなかに、もう一、二本、白く光るのがまじっているのを見つけると、一角は、この、放蕩無頼(ほうとうぶらい)で、人を人とも思わない変りものの兄が、何となく、ちょっと可哀そうに思われて来た。
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