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放蕩三昧
ほうとうざんまい |
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作家
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作品
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芥川龍之介 |
【孤独地獄】
最後の句は、津藤の耳にはいらなかつた。禅超が又三味線の調子を合せながら、低い声で云つたからである。――それ以来、禅超は玉屋へ来なくなつた。誰も、この放蕩三昧の禅僧がそれからどうなつたか、知つてゐる者はない。唯その日禅超は、錦木の許(もと)へ金剛経(こんがうきやう)の疏抄(そせう)を一冊忘れて行つた。津藤が後年零落して、下総(しもふさ)の寒川(さむかは)へ閑居した時に常に机上にあつた書籍の一つはこの疏抄である。津藤はその表紙の裏へ「菫野(すみれの)や露に気のつく年(とし)四十」と、自作の句を書き加へた。その本は今では残つてゐない。句ももう覚えてゐる人は一人もなからう。
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木下尚江 |
【火の柱】
「兼吉と云ふ男は決して其様(そん)な性格の者ではありませぬ、石川島造船会社でも評判の職工で、酒は飲まず、遊蕩(いうたう)などしたことなく、老母には極(きは)めて孝行で、常に友達の為めに借金を背負(しよ)はされて居た程です、何(ど)うも日本では今以て、鍛冶工(かぢこう)など云へば直(ただち)に乱暴な、放蕩三昧(はうたうざんまい)な、品格の劣等の者の如く即断致しますが、今日(こんにち)の新職工は決してソンなものでは無いですからな、――今春(このはる)他の一人の職工が機械で左腕(うで)を斬り取られた時など、会社は例の如く殆(ほとん)ど少しも構はない、
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中里介山 |
【大菩薩峠 京の夢おう坂の夢の巻】
「何を書いているのだ」「出鱈目(でたらめ)の思い出日記を書いているのだ」 「つれづれなるままに、日ぐらし硯(すずり)というわけかな」 「いや、閑(ひま)にまかせて自分の一代記を書いてみているところだ、今は先祖の巻を書き終えて、次は父の巻にうつろうとしているところだ、第三冊が母の巻、それから自分の放蕩三昧(ほうとうざんまい)の巻――自慢にもなるまいが、まあ一種の懺悔(ざんげ)かね」 「せっかく大いにやり給え」 |
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