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確固不抜
かっこふばつ 意志が固く動揺せずぐらつかないこと、そのさま。堅くしっかりしていること、そのさま。 ⇒ 確乎不抜 ⇒ 確固不抜 |
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作家
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作品
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宮本百合子 |
【今日の文学に求められているヒューマニズム】
文学の本質は、くりかえして云うが、その芸術の魅力によって、人間の心持を高める一つの確固不抜な要素をもっているものであり、少くとも文学として或る作品を手にとりあげた時、大衆は、自分の心持が人間として高められることを自然に求めている。
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石原莞爾 |
【戦争史大観】
その後モルトケ元帥の大名望とドイツ参謀本部の能力が国民絶対の信頼を博した結果、統帥権の独立は確固不抜のものとなった。しかもその根底をなすものは、当時決戦戦争すなわち武力に依り最短期間に於ける戦争の決定が常識となっていたことであるのを忘れてはならぬ。
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戸坂潤 |
【現代日本の思想対立】
政府は右翼取締りの方は、やがて不法集団取締り及び扇動取締法案として別個に議会へ提出することにしたから、今度は治安維持法改正法案は無事議会を通過することだろう。即ち、右翼の確固不抜な行動は決して治安を紊る心配はない、という信頼がここに横たわっているのである。
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桑原隲藏 |
【秦始皇帝】
秦の榮華は一朝であつた。始皇がその三十七年に、東南巡游中に病に罹つて崩御すると、その後を承けた少子の胡亥は、やがて宦者の趙高に弑せられ、孫の子嬰は間もなく劉邦(漢の高祖)に降つて秦は亡びた。萬世までもと豫期した始皇の望は絶えて、彼の崩後三年の間に、社稷覆るとは誠に悲慘な末路であるが、之が爲に始皇を輕重することは出來ぬ。帝政は約十年にして倒れても、ナポレオンの豪傑たることは否定出來ぬではないか。豐臣家は二世で滅びても、太閤の英雄たることは否定出來ぬではないか。人間の眞價は年月に在らずして、事業に存するのである。始皇は年五十、長生とはいへぬ。四海統一後の在位僅に十二年、むしろ短祚といはねばならぬ。しかし大なる事業をなした。驪山の陵が夷げらるることがあつても、長城の礎が動くことがあつても、支那史乘に於ける始皇の位置は確固不拔であらう。
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