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武者修行
むしゃしゅぎょう |
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作家
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作品
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芥川龍之介 |
【本所両国】
僕は小学時代にも「 |
島崎藤村 |
【夜明け前 第一部下】
「御覧なさい、小さな「ほんとに、江戸じゃ子供まで武者修行のまねだ。一般の人気がこうなって来たんでしょうかね。」 そういう平助は実にゆっくりゆっくりと歩いた。 |
三遊亭圓朝 鈴木行三校訂編纂 |
【後の業平文治】
紋「先ず話をしねえば分らねえだ、此の間中新潟の沖に親船が居りやしたが、それが海賊だという事でな、その船の側に来る船は矢鱈に鉄砲を撃掛けたり、新潟あたりの旅人を |
永井荷風 |
【小説作法】
一 読書思索観察の三事は小説かくものの
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片山広子 |
【たんざくの客】
煙草もはな紙も、手拭も矢立も鉛筆も、うすい紙の短冊を三四枚かさねて三つ折にたたんだものや、古い歌の本、そのほか一さい合切入れてあるらしかつた。話しながら時々その袋の中から何かしら取り出してゐた。むかし武者修行が諸国を旅して廻り、ある土地の道場に試合を申入れてそのあと、そこの家に泊つたりしてゐたことは古い物語で読んでゐるが、おじいさんは試合に来たのではなく、ただありあまる歌道の智識をその道の若い人に聞かせたい気持らしく、すこしも高ぶることなく愉快に話してくれた。
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原勝郎 |
【日本史上の奧州】
上方からして奧州へ下る者には鷹買、馬買、遍歴藝人、武者修行、僧侶等であつて武者修行の中には根來法師等も交つて居つた。奧州に始めて鐵砲戰を教へたのは、其等根來法師のやうである。斯く上方と奧州と兩方からの往返絶えず、その爲めに奧州に於ける文武二道は振興し、住民の見聞も大に擴まつたから、足利末の奧州は之を鎌倉末の奧州に比べて、若干の進境を見たこと爭ひ難い。有力なる大名の城下には、未熟ながら文化の小中心も出來た。
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寺田寅彦 |
【半日ある記】
へー有難うこれから当世白狐伝を御覧に入れる所なり。 |
織田作之助 |
【猿飛佐助】
アバタ面の猿飛が猿の衣裳つけて罷り出で、短冊片手に首かしげ、歌を読むとて万葉もどきに「アバタめが首を振る振る振るもよし振らぬもよし……」などとは口くさっても言えようか見せられようか、ああ恥かしい、醜態じゃと、たちまち忍術の極意で楓の前より姿を消したその足で上田を立ちのき、武者修行に出掛けたが、忍術を使えばいかな敵もなく、遂にわれ日本一なりと呆れ果てたる己惚れに増長したところを、師の戸沢図書虎より苦もなく術を封じられてしまったのが三度目。
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幸田露伴 |
【蒲生氏郷】
其他は |
泉鏡花 |
【湯女の魂】
「そりゃ何しろとんだ事だ、私は武者修行じゃないのだから、妖怪を退治るという
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