|
■このサイトに登録されている四字熟語を検索します。平仮名での検索や一文字からの検索、絞り込み検索などもできます。
流言蜚語/流言飛語
りゅうげんひご |
|
作家
|
作品
|
---|---|
佐藤紅緑 |
【ああ玉杯に花うけて】
人々は窓の外に倒れている猛太父子を病院に送った。覚平は人々とともに消火につとめた、さわぎのうちに夜がほのぼのと明けた。町は |
中谷宇吉郎 |
【流言蜚語】
東京は全く平穏であったが、帰りの汽車は復員輸送で往きよりももっとひどく混んでいた。前後二週間近くのこの苦しい旅行で得たものは、日本全国流言蜚語の洪水だという感じである。自分で直接見たもの以外は、人の
「そんなことがあるはずがない」と言い切る人があれば、流言蜚語は決して 新日本の科学の建設には、まず流言蜚語の洪水を防ぎ止める必要がある。もっともそれが出来た時は、新日本の科学は半ば以上出来上った時であるかもしれない。 |
岸田國士 |
【風俗時評】
主人 おどかしちやいやですよ、旦那。お髭も剃りますか?
客 絶対に秘密だよ。流言蜚語の張本人にされちや厄介だからね。あ、痛ツ! おい、気をつけろよ。何を突き差したんだい?
主人 おや、なんにもしやしませんぜ。今、首筋の毛を払つてるんですよ。
|
北原白秋 |
【竹林生活 ――震災手記断片――】
あの時、私は頭上に微傷こそ負つたが、幸に命はあつた。私の妻子も辛うじて逃れて恙は無かつた。ともに私たちは奇運を得た。私の家は大破はしたが、不思議に倒壊を免れ得た。この山にかうした恵まれた家は他に一戸あるきりである。それも私の家に較ぶればまだ被害は軽くはなかつた。その余は眼に見るかぎりの邸宅が壊滅して了つた。それどころではない、この私の住む小田原の町全部の家屋が殆どことごとく倒壊した。而もその大半は猛火に焼かれて一夜の中に茫茫とした焦土と化して了つた。圧死焼死相継ぎ、悲惨とも無慙とも言ひやうがなかつた。加ふるに山はくづれ、崖はなだれ、海嘯は起り、暴風雨は襲ひ、物資の窮乏、流言蜚語、それ等は絶えざる余震とともに災害のあるかぎりを以て生き残りの人人を試した。 |
宮本百合子 |
【私たちの建設】
「流言蜚語の取締り」は恐ろしく綿密であった。流言蜚語は、事実にないことを流布する一つの場合に当嵌められた言い方である。けれども、当時の日本の流言蜚語はその内容が違っていた。社会に対する正当の批評、希望もそれは取締られる「流言蜚語」の中に入れられた。そうしてうっかり買物のための行列に立っていると、陸軍のトラックがさっと走って来て、そうやって立っている時間があるなら洗濯でもしろと言って、婦人達を陸軍病院に連れて行くという人攫いめいたことも現実に行われた
|
林不忘 |
【釘抜藤吉捕物覚書 槍祭夏の夜話】
人心 |
中里介山 |
【大菩薩峠 不破の関の巻】
こうして米友は、美濃、尾張から伊勢路へつづく平野の中を、南宮山をまともに見、養老、今し、この夕方、垂井の宿いっぱいにひろがる流言蜚語そのものは、 「明日になると、武田耕雲斎が押しかけて来て、この宿を占領する」 ということでありました。 |
戸坂潤 |
【現代唯物論講話】
処で二・二六事件以後、流言飛語の類が簇出したと云われていることを注意しよう。之は或いは現下に於ける民衆の本能的なジャーナリズム形態(表現報道現象)であるかも知れない。だが恐らくこの現象は事件以前から相当に発達していたものではないかと想像される理由があるのだ。なぜというに、今日私的会合のグループを持とうとするものは、云うまでもない相当真面目な文化的要求を持ってのことであろうが、そうとすれば之は、何と云っても大体に於て、左翼的文化団体の完全な解体に対する反射運動と見做されるだろうからである。
|
戸坂潤 |
【社会時評】
民政党はこの時に当って、一寸異様な要求を政府に提出している。それは、政治経済の革正・教育制度の改善・思想善導・その他も大事だろうが、それより今大事なのは人心の安定で、それには言論自由が何より大切だから、之を保証しろ、というのである。言論の自由が封鎖されているもんだから色々な流言飛語が乱れ飛ぶので、夫が社会不安の本質だというのである。この「社会学」はとに角として、民政党には(そして多分政友会だってそうだろう)大変言論の自由が必要であるように見える。
|
|