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粒粒辛苦/粒々辛苦
りゅうりゅうしんく |
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作家
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作品
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正岡容 |
【初代桂春団治研究】
人間が擽られて笑ふところを、第一に脇の下であるとする、第二に足の裏であるとする、第三におへその周りであるとする。それを春団治こそは寝食を忘れ、 粉骨砕心し、粒々辛苦の結果、たとへば額とか、膝ツ小僧とか、肩のどの線とか、親指と人さし指の間とか、全くおもひもおよばざるところに哄笑爆笑の爆発点 を発見し、遮二無二、その一点を掘り下げていつた大天才であつたとおもふ。 |
久生十蘭 |
【顎十郎捕物帳 三人目】
「近所で聞き合わして見ると、杉の市という按摩鍼(あんまはり)が、いつも千賀春のところへ出入りしていたという。……内職は小金貸(こがねかし)。……これが、夫婦になるとかなんとか、うまく千賀春に蕩らしこまれ、粒々辛苦(りゅうりゅうしんく)の虎の子を根こそぎ巻きあげられ、死ぬとか生きるとか大騒ぎをやらかしたというのは、ついこないだのこと……」 |
宮本百合子 |
【婦人の文化的な創造力】
過去の歴史の絵巻が示しているとおり文明があるところまで来てその文明の故にかえって文化を低めるようになる場合、文化の創造力というものは、常にもっと も多難な道を辿るものである。そして、その過程で婦人が負うてゆく文化性というものは、その国の社会の歴史が婦人にもたらしている実に複雑な条件とからみ 合いつつ、粒々辛苦の形で護られ、成長させられてゆかねばならない。 |
種田山頭火 |
【行乞記 三八九日記】
米を買つた、一升拾六銭だ、米はほんたうに安い、安すぎる、粒々辛苦、そして損々不足などゝ考へざるをえないではないか。 |
木下尚江 |
【臨終の田中正造】
「さりながら農の利潤は極めて僅少にして、是は誠に粒々辛苦の汗のみなれば、終に藍玉商とならんと企てたり。父曰く、汝の職苟も名主たり、然るに商となりて錙銖を計らんとするは何ぞやと。然れ共いつかな聴入れず。日課を左の如く定めたり。 |
坂口安吾 |
【選挙殺人事件】
そのころから、ヤケ酒を飲みはじめたらしいから、あるいは、そうではないかと思いますよ。そしてせっかく粒々辛苦の財産をジャンジャン選挙に使いはじめた のですね。江村にせびられて身代をつぶすぐらいなら、公衆に顔をさらして、勝手に身代をつぶしてみせらア、ざまアみろ、というヤケでしょうかね。 |
中里介山 |
【生前身後の事】
本郷の至誠堂という取次店がこれを扱ってくれたが、永年の読者で直接注文もかなりあった、その注文者のうちにはこんな汚ない不細工の印刷では売り物になる ものかといって小言をいって来た人もあったが、その粒々辛苦(或は道楽)の内容を知らないのだ、その汚ない不器用の出来上りが実は無上の珍物であるという ことを知ろう筈はない、 |
田中英光 |
【オリンポスの果実】
ぼくは |
黒島傳治 |
【武装せる市街】
ここは、早晩、陥落するものときめられた。いわゆる『粒々辛苦の末に開拓した経済的基礎』が、水泡に帰するだろう。家も、安楽椅子も、飾つきの卓も、蓄音機も、骨董や、金庫も、すべて、ナラズ者の南兵の掠奪に蹂躪(じゅうりん)されてしまうだろうと居留民たちは考えさせられた。 |
相馬愛蔵 |
【私の小売商道】
また彼の叔母に当る人で、金持の呉服屋があった。けれども彼は立派に店でも持たないうちは出入りをしないことに心をきめて、いささかも依頼することなく、 朝は未明に起きて油を売り、夜はわらじのままで板の間に腰かけて夕食をしたため、惰気やねむけの催さぬうちに、また暗の中にかけ出して俥を挽き、粒々辛苦 実にいうに忍びざる苦境を経て、半年の後には得意は二百軒に増加した。 |
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