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縦横無尽
じゅうおうむじん
 ⇒ 縦横無尽 ⇒ 縦横無礙/縦横無碍
作家
作品

夏目漱石

【吾輩は猫である】

蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしいくんが一生懸命に尻尾しっぽを延ばしたりちぢましたりしているところを、わっと前足でおさえる時にある。この時つくつくくんは悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振う。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である。余はつくつく君を抑える たびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになるとご免をこうむって口の内へ頬張ほおばってしまう。

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坂口安吾

【二十一】

兄貴はボートとラグビーとバスケットボールの外には余念がなく、俗事を念頭に置かぬこと青道心の僕以上で、引越すと、その日の晩には床の間の床板に遠慮もなく馬蹄のやうなものを打込み、バック台をつくり、朝晩ボートの錬習である。床の間の土が落ち地震が始まり、隣家の人が飛びだしても、気にかけたことがない。学校から帰るとラグビーのボールを持つて野原へとびだし、縦横無尽に蹴とばす。せまい原ッパだから、ボールが畑へとびこむと、忽ち畑の中を縦横無尽に蹴とばし、走り、ひつくりかへつてゐるのである

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正宗白鳥

【幼少の思ひ出】

 八犬伝や日本外史を、幼い頭の中へ注ぎ込むことがいい事であつたか。封建思想の結晶、こち/\の仁義忠孝などで、白紙の、純白な頭を縦横無尽にいたみつけられて、それでいゝのか。私は、人間の形を取つて生れて以来、和蘭風の「吸い出し」を頭にかけられたり、危険な種痘をされたり、地獄の赤鬼青鬼の話を聞かされたり、八犬伝や日本外史で精神教育を授けられたりして、人間としての成長を遂げたことは幸福であつたかなかつたか。

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泉鏡花

【陽炎座】

板の間のからびた、人なき、広い湯殿のようで、暖い霞の輝いてよどんで、ただよい且つみなぎる中に、蚊を思うと、その形、むらむら波を泳ぐ海月くらげに似て、ほこよこたえて、餓えたる虎の唄を唄ってねる。……
 この影がさしたら、四ツ目あたりに咲き掛けた紅白の牡丹ぼたんも曇ろう。……はしを鳴らして、ひらりひらりと縦横無尽に踊る。
 が、うつつなの光景ありさまは、長閑のどか日中ひなかの、それが極度であった。――

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三好達治

【測量船】

彼は眼をしばたたいた。その眼を鼻筋によせて、浪うつ鬣の向日葵のやうに燃えあがる首を起こし、前肢を引寄せ、姿態を逞ましくすつくりとたち上つた。彼は鉄柵の前につめ寄つた。しかしその時、彼はふと寧ろ反つて自分の動作のあまりに緩慢なのに解きがたい不審を感じた。蝶はもとより、夙やく天の一方にその自由の飛翔を掠め消え去つた。彼は歩行を促す後躯のために、余儀なく前躯を一方にすばやくひんまげた。そして習慣の重いあしどりで檻にそつて歩き始めた。彼にとつての実に僅かな、ただ一飛躍にすぎない領土を、そこに描く屈従と倦怠の縦横無尽の線条から、無限の距離に引き伸して彼は半日の旅程に就いた。しかしながら ものうく王者のうなじをうな垂れ、しみじみとその厚ぼつたい蹠裏にはずむ感覚に耐へ、彼は考へた。

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高野六郎

【小島の春 序】

 小川さんは完全ならい療養所の先生であると私は信じている。完全な者はそう幾人もない。小川さんは日本における稀有な存在である。
 小川さんは心魂を捧げつくして癩事業に精進する。小川さんの「土佐の秋」や「小島の春」を読んで圧迫を感じない者はなかろう。
「誰にでも、一人でも、療養所を、癩を諒解して貰いたい心願に燃えて」小川さんは土佐の山奥や瀬戸の小島を心身を消耗させながら縦横無尽に歩き廻る。講演もする。説得もする、文章も書くし歌も作る。出来ない事は自転車に乗ること位らしい。その自転車へも荷物台へ身軽にまたがって山路を運んで貰うことを心得ている。

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海野十三

【人造人間事件】

「そうですね。僕はこの新型の人造人間については知らないんだが、一つ中を開けて見てみましょう」
 そういって彼は物慣れた手つきでドライバーを手にとり、人造人間の胴中をしめつけている鉄扉てっぴのネジをはずしていった。間もなく人造人間のはらわたが露出した。膓といっても人造人間のことだから細々こまごまとした機械がギッシリ詰っていて、その間を赤青黄紫と色とりどりの紐線ひもせん縦横無尽に引張りまわされているのであった。なんという複雑な構造だろう。竹田博士の素晴しい脳力のほどがハッキリ うかが われるような気がした。

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牧野信一

【籔のほとり】

「あら、うちの人はあんな処で――」と細君が指さした方を樽野が、真実まぶしい陽をすかして眺めると、他には一点の人影も見えないからそれが彼女の良人に相違ない、豆人形程の滝が、砂地を縦横無尽に駆け廻つてゐた。いつも着通しでゐる白キヤラコの西洋寝間着を外に出る時は裾をたくしあげてダブダブのパンツを穿く滝である。飛び立つ鴎の群で稍ともすると滝の姿は掻き消される、彼は飛び立つ鴎に籠球家のやうに腕を伸して飛びつかうとする、グルグル回つて、直ぐに砂地に降りる鳥をまた追ひあげる、滝はアヤツリ人形のやうに脚を挙げ腕を振り駆けては跳ぶ、やり損つてモンドリを打つた、息もつかずに「バネにはぢかれ」て跳ねあがる! 蚊トンボだ! さうかと思ふと、稍暫し地に跼つて、「パッチン!」と米つき虫になる、起きあがり小坊子になる! ひるまず脚をバツタにして跳ねあがる、風車になつて拳固を振る――滝は、飴色の陽の中で鴎の雪に降りこめられながら奇妙な立廻りを演じてゐた。

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佐藤垢石

【岩魚】

 水際に立つと、自ら悽愴の気を催す淵である。この地方の人々は、これを相俣の淵と呼んでいるのである。
 この淵に、よほど古い昔から恐ろしく大きな岩魚いわなが棲んでいた。淵の、主である。魚画を描いて日本随一と称せられる岸浪百艸居翁の研究したところによると、岩魚の相貌には男型と女型の二種あるというが、相俣淵の主は女型に類する方であった。
 悪食の上に縦横無尽に行動する岩魚は、鋭い歯を持って口は深く割れ、丸い大きな眼に、いかめしい顔の造作を備えている。しかし、女性型の岩魚は男性型に比べて、顔の容に一種の優しみを持っているので区別されるのである。殊に背の鱗は青銀色に、腹の方の膚は白銀色に、体側には両面の肩から尾筒に至まで、朱く輝く瑠璃色の斑点を ちりばめたように浮かせ、あまたの魚類のうちで岩魚は、まれに見るおしゃれであるのである。その麗容な岩魚の泳ぐ大きな姿を、晩秋の水の澄んだ真昼に、ときどき村人が淵の中層に見るという。

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吉川英治

【平の将門】

 沼、川、また沼、あしの湿地。曠野の道でいやなものは、水だった。下総の猿島さしまから、武蔵の葛飾かつしか埼玉さいたま足立あだちの方角をとって歩こうとすれば、大河や小さい河は、縦横無尽といっていい。坂東太郎と敬称する大利根の動脈を中心として、水は静脈のように流れているというよりは、この大陸を、暴れまわっているといった方が実際の すがたに近かった。

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Last updated : 2024/06/28