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天然自然
てんねんしぜん |
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作家
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作品
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夏目漱石 |
【私の個人主義】 必竟ずるにこういう事は実際程度問題で、いよいよ戦争が起った時とか、危急存亡の場合とかになれば、考えられる頭の人、――考えなくてはいられない人格の修養の積んだ人は、自然そちらへ向いて行く訳で、個人の自由を |
夏目漱石 |
【マードック先生の『日本歴史』】 維新の革命と同時に生れた余から見ると、明治の歴史は即ち余の歴史である。余自身の歴史が
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芥川龍之介 |
【妖婆】 これは成程あの婆に果し状をつけられたようなものですから、気味が悪かったのには、相違ありますまい。しかもそう問い返した後で、婆は新蔵のひるんだ気色を見ると、黒い単衣の襟をぐいと抜いて、「いかにおぬしが |
高村光太郎 |
【人の首】 大人と子供との中間の人の首すじを見るのは特別に面白い。大人になりかかって行って、此所にだけまだ子供が残っている青年などは殻から出たての蝉の様に新鮮である。水々しい若い女の首すじの美は特に私が説く迄もあるまい。色まちの女が |
寺田寅彦 |
【函館の大火について】 火事は地震や雷のような自然現象でもなく「おやじ」やむすこのような自由意志を備えた存在でもなく、主としてセリュローズと称する物質が空気中で燃焼する物理学的化学的現象であって、そうして九九プロセントまでは人間自身の不注意から起こるものであるというのは周知の事実である。しかし、それだから火事は不可抗力でもなんでもないという説は必ずしも穏当ではない。なぜと言えば人間が「過失の動物」であるということは、統計的に見ても動かし難い天然自然の事実であるからである。しかしまた一方でこの過失は、適当なる統制方法によってある程度まで軽減し得られるというのもまた疑いのない事実である。
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坂口安吾 |
【ラムネ氏のこと】 全くもつて我々の周囲にあるものは、大概、天然自然のまゝにあるものではないのだ。誰かしら、今ある如く置いた人、発明した人があつたのである。我々は事もなくフグ料理に酔ひ痴れてゐるが、あれが料理として通用するに至るまでの暗黒時代を想像すれば、そこにも一篇の大ドラマがある。幾十百の斯道の殉教者が血に血をついだ作品なのである。
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福沢諭吉 |
【家庭習慣の教えを論ず】 故に一口に教育と呼び |
宮本百合子 |
【「迷いの末は」 ――横光氏の「厨房日記」について――】 義理人情が、日本の文学的伝統の中で芸術的表現を与えられたのは、義理といい人情という、この世の外的内的なしがらみを破り、或はまさに破らざるを得ないところまで迸った天然自然の人間性が、その柵にせかれて身もだえし、遂にそのしがらみを破ったと同時に我が身をも滅した憐れさを捕えたものであった。
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豊島与志雄 |
【変な男】 よく紫檀の机や何かで納まり返ってる者もありますが、紫檀は最もひどいごまかしもので、あれにはみな色が塗ってあるんです。そして「だって、」と澄子は微笑みながら云った、「あなたはそれを毎日拭いていらっしゃるじゃないの。やっぱりごまかしじゃありませんか。」 |
中里介山 |
【大菩薩峠 新月の巻】 それが偶然、与八という男を見ると、全く別な世界の人を見出さないわけにはゆきませんでした。無一物の旅から旅の中に、なお安心があり、平和があり、受くるよりも与うることに幸福を感ずる天然自然の悠々たる余裕がある――ああいう生活方法もあり得る、現にあり得ているという驚異を、持たせられざるを得ませんでした。
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