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右顧左眄 うこさべん ⇒ 右顧左眄 ⇒ 左顧右眄 |
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作家
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作品
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折口信夫 |
【信太妻の話】
今から二十年も前、特に青年らしい感傷に耽りがちであつた当時、私の通つて居た学校が、靖国神社の近くにあつた。それで招魂祭にはよく、時間の間を見ては、行き/\したものだ。今もあるやうに、其頃からあの馬場の北側には、猿芝居がかゝつてゐた。ある時這入つて見ると「葛の葉の子別れ」といふのをしてゐる。猿廻しが大した節廻しもなく、さうした場面の抒情的な地の文を謡ふに連れて、葛の葉狐に扮した猿が、右顧左眄の身ぶりをする。
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伊丹万作 |
【映画と民族性】
くり返していう。芸術は何よりもまずその民族のものである。したがつて自己の所属する民族に奉仕する以外には何ごとも考える必要はない。いな、むしろ考えてはならぬのである。自己の民族への奉仕をまつとうし、民族芸術としての責務をはたしたうえ、さらに余力をもつて国境を越えて行くなら、それはよろこばしいことであるが、最初から他の民族への迎合を考えて右顧左眄し始めたらそれはすでに芸術の自殺である
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戸坂潤 |
【読書法】
この感覚の確実さを見るには、寧ろいくつかの「文芸時評」なる項目を読むといい。彼はマテリアリストでなければ見出せないいくつかの的確な発見をしている。ものの良し悪しを殆んど本能的にピッタリと云い当てているのが判る。人真似や右顧左眄の産物には決してあり得ないことだ。
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小熊秀雄 |
【小熊秀雄全集-19- 美術論・画論】
○…彼こそ徹底した技術主義者だらう、だから、細かい部分になど特別な工夫が凝らされてゐて、画学生が南風の絵の前で、うんうんうなりながら彼のテクニックに感心して見入つてゐる会場風景などをよく見かける。画壇での、良心的分子として堅山南風をまづ挙げる必要がある。彼の人柄は誠実とされてゐる、時に誠実と良心とが度がすぎて作品が右顧左眄的なことがある、彼の耳を患つてゐて対談してゐる人も、彼が聞えたのか、聞えなかつたのかさつぱりその誠実の在り場所がわからない、南風の耳の遠いのは時には有効に悪画商を追つ払ふさうだ
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