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有職故実
ゆうそくこじつ
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作家
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作品
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【幕末維新懐古談 皇居御造営の事、鏡縁、欄間を彫ったはなし】 この皇居御造営の事は日本美術協会の方にも関係がある。協会の役員の一人である山高信離氏は御造営の事務局長でありました。氏は当時有数の博識家で、有職故実
のことは申すまでもなく、一般美術のことに精通しておられ、自ら絵画をも描かれた位でありますから、建築内部の設計装飾等の万般について計画をしておられまして、各種にわたった技術家諸職工等を招きそれらの考えを聞き、自分の考えと参考斟酌して概略のところをまず決定されておられたようなことであった。
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【徒然草の鑑賞】 以上述べたような項目の外に著しく多数に散在しているのは有職故実
その他あらゆる知識に関するノートと云ったものである。これらも分類的に研究したら面白そうであるが今回は暇がないから略する。とにかく一方では遁世守愚をすすめながらも、また一方では知識というものの効能を高く買っていることがよくわかる。
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【貴種誕生と産湯の信仰と】
私は、まず今日の宮廷の行事の、固定した以前の形を考えさせて貰おうと思う。有職故実の学者たちの標準は、主として、平安朝以来即、儒風・方術の影響を受けた後の様式にある様である。尤、此期に入って、記録類が殖えて来たからではあるが、私は前期王朝のまだ其々の伝承に、信仰的根拠の記憶せられ尊奉せられていた時代の、固定しきらない俤が窺いたいのである。そうして生活古典たる宮廷の行事に、何分かの神聖感と、懐しみとを加えることが、出来そうに
私
かに考えている次第である。
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【東海道五十三次】 風俗史専攻の主人が、殊に昔の旅行の風俗や習慣に興味を向けて、東海道に探査の足を踏み出したのはまだ大正も初めの一高の生徒時代だったという。私はその時分のことは知らないが大学時代の主人が屡々そこへ行くことは確に見ていたし、一度などは私も一緒に連れて行って貰った。念の為め主人と私の関係を話して置くと、私の父は幼時に維新の匆騒を越えて来たアマチュアの有職故実
家であったが、斯道に熱心で、研究の手傅けのため一人娘の私に絵画を習わせた。
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【夜明け前 第一部上】 当時は井伊大老横死のあとをうけて、老中安藤対馬守を幕府の中心とする時代である。だれが言い出したとも知れないような流言が伝わって来る。和学講談所(主として有職故実
を調査する所)の塙次郎という学者はひそかに安藤対馬の命を奉じて北条氏廃帝の旧例を調査しているが、幕府方には尊王攘夷説の根源を断つために京都の主上を幽し奉ろうとする大きな野心がある。
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【元禄十三年】 ――高家筆頭として、公卿堂上の取次ぎ、神仏の代参、天奏衆上下の古礼、その他有職故実
に通じている吉良だった。勅使饗応を命じられた大名は、吉良の手引きがなくては、手も足も出ないのだった。
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【久保田米斎君の思い出】 芝居というものはイリュージョンを破りさえしなければいいので、何も有職故実
をおぼえに来るところじゃない。もしそんなつもりで来る人があれば、その方が心得違いなんですから、大体その時代らしく、芝居としても都合のいいように拵えればいいわけなのだが、学者の考証家先生になると、なかなかそう行かない。
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【右門捕物帖 明月一夜騒動】 老武家は真実面目なさそうに、ところどころ痛々しげな霜の読まれるこうべを深々とうなだれました。またこれは面目ないのが当然でありましたろう。かりにも高家の列につながり、有職故実諸礼作法をもって鳴る名家の主が、いかに貧ゆえの苦しみからとはいいながら、上お将軍家からのお預かり物を、しかも保管料三百金というお慈悲付きのお預かり物を、入れるべきところに事を欠いて、七ツ屋に入牢させるとは、もってのほかのふらち不行跡だったからです。
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Last updated : 2024/06/28