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悠悠自適/悠々自適
ゆうゆうじてき |
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作家
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作品
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勝海舟 |
【猟官運動】
併し、何にせよ今度の政変は、第二維新だ。猟官の噂もだんだん聞くが、考えて見れば、是れも無理はない話しさ。それは御一新の際には、武士が皆な家禄を持って居たから遊んで居ても十分食えたのだ。尤も脱藩の浪士などの間には、不平家も少しはあったが、大抵な人は所謂恒の産があったから、そんなに騒がなくってもよかったのだ。西郷などは、固より例外だが、それは流石に立派なもので、幕府が倒れた時に、最早平生の志を遂げたのだからこれから山林にでも引き籠って、悠々自適、風月でも楽んで、余生を送ろうと云い出した位だ。処が今の政党員は、多くは無職業の徒だから役人にでもならなければ食えないのさ。だからそれは猟官もやるがよいが、併し中には何んの抱負もない癖に、つまり財政なり外交なり、自分の主張を実行するために、就官を望むのではなくて、何んでも善いから月給に有り就きさえすればよいという風な猟官連は、それは見っともないよ。
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淡島寒月 |
【亡び行く江戸趣味】 人はよく私を江戸趣味の人間であるようにいっているが、決して単なる江戸趣味の小天地に |
太宰治 |
【佳日】 先生は、昨年の春、同じ学部の若い教授と意見の衝突があって、忍ぶべからざる侮辱を受けたとかの理由を |
萩原朔太郎 |
【病床生活からの一発見】
この病気の経験から、私は「無為自然」という哲学の意味を知った。私はエピクロスを知り、老子を知り、そして尚且つストイツクの本来の意味さえ解った。すべて此等の宗教(?)は、人生に安心立命の道を教える。そしてこの安心立命に至る手段は、要するに欲望を捨て、義務感を去り、生活に対する一切の責任感をあきらめてしまうことにあるのだ。既に一切をあきらめる。故に焦燥もなく、煩悶もなく、義務感もなく、真に無為不善で居りながら、しかもまたその無為によって退屈に悩まされることもない。即ち所謂「悠々自適」の境に達し、安心立命して暮すことができるのだ。病気が、この種の宗教の真意を教えた。私は病気中、すくなくとも悠々自適に近い心境を体験した。私は無為に居て無為を楽しみ、退屈に居て退屈の満足を初めて知った。 |
河上肇 |
【随筆「断片」】
ただ「断片」一つを書いただけでも、その当時已に馘首されていて然るべきであったのに、その後引続き七年間も大学に居て、相変らず思う存分のことを書き、大学をやめてからも、勝手放題のことを仕出かしながら、今も尚ほ無事に生きながらえていて、この世界大乱の時節に、貧乏はしながらも悠々自適、気の向くままに時にはこんな思い出など書きながら、余生を楽むことが出来ると云うのは、考えて見ると、実に過分の幸福と謂はねばならぬ。そう思いながら、私はここにこの思い出、第十一の筆を擱く。
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豊島与志雄 |
【新たな世界主義】 林悟堂の真姿は、彼の中国語の文章の中にあるというのが本当だとしても、英文の著作の中にある彼の姿もまた、虚偽のものではなかろう。他国にある華僑たちは、その相互間に、連帯責任と相互扶助との密接な連繋があるとしても、異境に悠々自適するその生活態度は、重視するに価しよう。
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国枝史郎 |
【二人町奴】 藩隨院長兵衛事一代の侠骨、町奴の頭領にございました。江戸に住居する数百数千、ありとあらゆる町奴、みな長兵衛を頭と頼み、命を奉ずる手足の如く、 |
坂口安吾 |
【落語・教祖列伝 花天狗流開祖】 人間というものは、悲しいものだ。キンカの野郎のアネサは存分に怠けているように見える。もッと働いてくれないかと頼む人はいるけれども、たッて働けと言いきる勇士は誰もいない。馬吉のオカカですらも、ダメなのである。だからアネサは人間の境地を分類して、悠々自適と称するところに居るのであるが、かほどの人間でも、充ち足りざるものがある、夢がある、無限の遺恨があるのである。ああ、悲しいかな。
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木村荘八 |
【小杉放庵】
近頃の好季節に、小杉さんは、赤倉の、温度も滅多に八十度とは上らない山の中で、鳥の声や、草々、身辺の奇巌、いはなの棲む渓流。その中に悠々自適するのであるが、過ぐる戦災に、東京の家や諸調度の類を失ったことは傷心なるも、就中本を焼かれたことは、ぼくなんかもこれを思う度に、困ったことをしたと痛心する。
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岸田國士 |
【日本文化の特質 ――力としての文化 第二話】
その「趣味」が少し昂じて来て、技術的にも腕をあげようという野心が生じて来ると、それはもう趣味の領域から脱け出すことになり、また、同じ趣味でも、技術より精神を尊ぶというような行き方もあって、そこでは、下手の横好きが許され、「暇つぶし」と自ら称しつゝ、それに没頭することによって悠々自適の快を味うとか、自ら孤独の境を楽しむとか、更に、隠忍風雲を待つというような精神的満足を得る場合もあります。
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