作 家
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作 品
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芥川龍之介 |
【運】 さて形(かた)ばかりの盃事(さかずきごと)をすませると、まず、当座の用にと云って、塔の奥から出して来てくれたのが綾(あや)を十疋(ぴき)に絹を十疋でございます。--この真似(まね)ばかりは、いくら貴方(あなた)にもちとむずかしいかも存じませんな。」 |
吉川英治 |
【私本太平記 婆娑羅帖】 「相違ございません。巻絹十 |
森鷗外 |
【佐橋甚五郎(さはしじんごろう)】 道中の駅々では鞍置馬(くらおきうま)百五十疋(ぴき)、小荷駄馬(こにだうま)二百余疋、人足三百余人を続(つ)ぎ立てた。 駿府の城ではお目見えをする前に、まず献上物が広縁(ひろえん)に並(なら)べられた。人参(にんじん)六十斤(きん)、白苧布(しろあさぬの)三十疋、蜜(みつ)百斤、蜜蝋(みつろう)百斤の四色(よいろ)である。 |
若山牧水 |
【島三題】 濱の松の蔭では忽ちに賑やかな酒もりが開かれた。うしほに、煮附に、刺身に、鹽燒に、二疋の鯛は手速くも料理されたのである。 いつか夕方の網までその酒は續いた。そしてたべ醉うた漁師達の網にどうしたしやれ者か、三疋の鯛がかゝて來た。よれつもつれつ、我等三人は一疋づつその鯛を背負うて、島の背をなす山の尾根づたひの路を二里ばかりも歩いた。 |
島崎藤村 |
【夜明け前 第一部 下】 鉾(ほこ)の先を飾る大鳥毛の黒、三間鎗(さんげんやり)の大刀打(たちうち)に光る金なぞはことに大藩の威厳を見せ、黒の絹羽織(きぬばおり)を着た小人衆(こびとしゅう)はその間を往(い)ったり来たりした。普通御通行のお定めと言えば、二十万石以上の藩主は馬十五疋(ひき)ないし二十疋、人足百二、三十人、仲間二百五十人ないし三百人とされていたが、尾張領分の村々から藩主を迎えに来た人足だけでも二千人からの人数がこの宿場にあふれた。 |
宮沢賢治 |
【『春と修羅』補遺 津軽海峡】 夏の稀薄から却って玉髄の雲が凍える 亜鉛張りの浪は白光の水平線から続き 新らしく潮で洗ったチークの甲板の上を みんなはぞろぞろ行ったり来たりする。 中学校の四年生のあのときの旅ならば けむりは砒素鏡の影を波につくり うしろへまっすぐに流れて行った。 今日はかもめが一疋も見えない。 (天候のためでなければ食物のため、 じっさいベーリング海峡の氷は 今年はまだみんな融け切らず 寒流はぢきその辺まで来てゐるのだ。) |
南方熊楠 |
【十二支考(2)兎に関する民俗と伝説】 雌雄ともに八竅とは鳥類同様生殖と排穢の両機が一穴に兼備され居るちゅう事で兎の陰具は平生ちょっと外へ見えぬからいい出したらしい、王充(おうじゅう)の『論衡(ろんこう)』に兎の雌は雄の毫(け)を舐(な)めて孕むとある、『楚辞』に顧兎とあるは注に顧兎月の腹にあるを天下の兎が望み見て気を感じて孕むと見ゆ、従って仲秋月の明暗を見て兎生まるる多少を知るなど説き出した。わが邦でも昔は兎を八竅(きょう)と見た物か、従来兎を鳥類と見做(みな)し、獣肉を忌む神にも供えまた家内で食うも忌まず、一疋二疋と数えず一羽二羽と呼んだ由、古ギリシアローマの学者またユダヤの学僧いずれも兎を両性を兼ねたものとしてしばしばこれを淫穢(いんえ)不浄の標識とした(ブラウン『俗説弁惑(プセウドドキシヤ・エピデミカ)』三巻十七章)。 |
田中貢太郎 |
【狼の怪】 彼はしかたなしに大きな岩の下へ往って、手にしていた弓を立てかけ、二疋の兎を入れている袋といっしょに矢筒も解いて凭(もた)せかけた。 |
田中貢太郎 |
【地獄の使】 老婆はふらふらと起ち昇(あが)って、顫う手に行灯を持った。青鬼と赤鬼の二疋は、胴を屈めるようにしてあがった。老婆は鬼に近寄られないようにと背後(うしろ)向きに引きさがった。そして、仏壇のある室まで往くと、老婆はべたりと坐ってしまった。二疋の鬼もそのまま其処へ衝立った。 |
作者不詳 国民文庫 (明治43年) 校訂: 古谷知新 |
【源平盛衰記】 斉院次官親義、陪膳仕て肴に馬を引、大宮侍の一、工藤左衛門尉祐経一人して是を引、其日は兵衛佐の館へは向はず、五間の萱屋を理て、椀飯ゆたかに、厚絹二両、小袖十重、長櫃に入て傍に置。其外宿所へ十三疋の馬を送る。其中に二疋は鞍を置、十一疋は裸馬也。彼馬共は、八箇国の大名に選宛られたりと内々承しに合て、実に有難逸物共也き。又上品の絹百疋、白布百端、紺藍摺各百端積めり。 |