作 家
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作 品
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土田杏村 |
【私の書斎】 私は着物などは何でもよいと思つてゐる。洋服は一揃ひだけ持つてゐるけれど、和服となると常着だけしかない。その洋服も近頃は大抵は着ずに冬も夏も一着のルパシュカだけ着てゐる。これは実に便利な着物だ。上からスポリとかぶるだけで世話はなく、冬はシャツを何枚も重ねればよい。この三四年間私はただこの一着のルパシュカを着てゐるのだ。帽子は鳥打の夏帽子一つ。これで三四年の夏と冬とを越した。 |
小泉節子 |
【思い出の記】 日光は見たくないと云っていました。しかし、行って見ればとにかくあの大きい杉の並木や森だけは気に入ったろうと思われます。 私の参りました頃には、一脚のテーブルと一個の椅子と、少しの書物と、一着の洋服と、一かさねの日本服位の物しかございませんでした。 |
池谷信三郎 |
【橋】 彼は背伸びをしたら、紐育(ニューヨーク)の自由の女神が見えはすまいかというような感じだった。しばらく考えていた店員は、何か気がついたらしく、そうそう、と昔なら膝を打って、一着のモーニングをとりだしてきた。じつはこれはこの間やりました世界風俗展で、巴里(パリ)の人形が着ていたのですが、と言った。 |
與謝野寛 |
【執達吏】 箪笥の上の抽出(ひきだし)からは保雄の褻(け)にも晴(はれ)にも一着しか無い脊広が引出された。去年の暮、保雄が郷里の講習会に聘(へい)せられて行つた時、十二年振(ぶり)に初めて新調したものだ。其の洋服代も美奈子が某(ばう)新聞社へ売つた小説の稿料の中から支払つたので妻が夜(よ)の目も眠らずに働いた労力の報酬の片端である。又一枚しか無い保雄の大島の羽織が抓(つま)み出された。是(これ)は亡くなつた美奈子の父の遺品(かたみ)だ。保雄も美奈子も八九年間に一枚の着物すら新調した事は無いのである。保雄が執達吏の目録を覗(のぞ)いて見ると、 一、大島紬羽織一点見積代金参円 一、霜降セル地脊広一着見積代金二円 と書かれた。 |
太宰治 |
【津軽】 私には背広服が一着も無い。勤労奉仕の作業服があるだけである。それも仕立屋に特別に注文して作らせたものではなかつた。有り合せの木綿の布切を、家の者が紺色に染めて、ジヤンパーみたいなものと、ズボンみたいなものにでつち上げた何だか合点のゆかない見馴れぬ型の作業服なのである。 |
太宰治 |
【ダス・ゲマイネ】 春と夏と秋と冬と一年に四回ずつ発行のこと。菊倍判六十頁。全部アート紙。クラブ員は海賊のユニフォオムを一着すること。胸には必ず季節の花を。 |
岡本綺堂 |
【青蛙堂鬼談 青蛙神(せいあじん】 太平が久しくつづいて、誰も武具の用意が十分であるまいというので、将軍から部下の者一同に鎧一着ずつを分配してくれることになった。張訓もその分配をうけたが、その鎧がまた悪い。古い鎧が破れている。 |