作 家
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作 品
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太宰治 |
【散華】 ことしの五月の末に、私はアッツ島の玉砕をラジオで聞いたが、まさか三田君が、その玉砕の神の一柱であろうなどとは思い設けなかった。三田君が、どこで戦っているのか、それさえ私たちには、わかっていなかったのである。 あれは、八月の末であったか、アッツ玉砕の二千有余柱の神々のお名前が新聞に出ていて、私は、その列記せられてあるお名前を順々に、ひどくていねいに見て行って、やがて三田循司という姓名を見つけた。決して、三田君の名前を捜していたわけではなかった。なぜだか、ただ私は新聞のその面を、ひどくていねいに見ていたのである。 |
石川啄木 |
【赤痢】 『左樣さ。兎角自國のもんでないと惡いでな。加之(それに)何なのぢや、それ、國常立尊(くにとこたちのみこと)、國狹槌尊(くにさづちのみこと)、豐斟渟尊(とよくにのみこと)、大苫邊尊(おほとのべのみこと)、面足尊(おもたるのみこと)惺根尊(かしこねのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)、それから大日靈尊(おおひるめのみこと)、月夜見尊(つきよみのみこと)、この十柱の神樣はな、何れも皆立派な美徳を具へた神樣達ぢやが、わが天理王の命と申すは、何と有難い事でな、この十柱の神樣の美徳を悉皆具へて御座る。』 |
泉鏡花 |
【夜叉ヶ池】 学円(ひたりと洋服の胡坐(あぐら)に手をおき)何にも言わん。そう信ぜい。堅く進ぜい。奥方の人を離れた美しさを見るにつけても、天がこの村のために、お百合さんを造り置いて、鐘楼守を、ここに据えられたものかも知れん。君たち二人は二柱(ふたはしら)の村の神じゃ。就中(なかんずく)、お百合さんは女神じゃな。 百合(行燈(あんどん)を手に黒髪美しく立出づる)私、どうしたら可(よ)うございましょう。 |
折口信夫 |
【死者の書】 麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳(か)けおりて来る。 九人と言うよりは、九柱の神であった。白い著物(きもの)・白い鬘(かずら)、手は、足は、すべて旅の装束(いでたち)である。頭より上に出た杖をついて−−。この坦(たいら)に来て、森の前に立った。 |
折口信夫 |
【貴種誕生と産湯の信仰と】 飛鳥・藤原の宮の頃から、皇子・日つぎのみ子の外に皇子(ミコ)ノ尊(ミコト)と言ふ皇太子の資格を示す語が出来たらしい。だが、もつと古代には日つぎのみ子の中から一柱が日のみ子として、みあれせられたのであつた。其間の物忌みが厳重であつた。 |
宮本百合子 |
【肉親】 舞鶴から東京へ入った引揚第一列車には六百四十一名、遺骨二柱と新聞は報じている。六百あまりの人は、それぞれ集団として自主的に行動したのに、たった一人不仕合わせな青年が姉と叔母とにつかまえられて列車にひきずりこまれる悲しい姿を反民主運動の宣伝ポスターのように、全国の新聞にさらされたのはなぜだろう。 |