作 家
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作 品
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島崎藤村 |
【夜明け前 第一部 下】 従来問屋場を通過する荷物の貫目にもお定めがあって、本馬(ほんま)一駄(だ)二十貫目、軽尻(からじり)五貫目、駄荷(だに)四十貫目、人足一人持ち五貫目と規定され、ただし銭差(ぜにさし)、合羽(かっぱ)、提灯(ちょうちん)、笠袋(かさぶくろ)、下駄袋(げたぶくろ)の類(たぐい)は本馬一駄乗りにかぎり貫目外の小付(こづけ)とすることを許されていた。 |
薄田泣菫 |
【利休と遠州】 この人は京極安知よりも、人間が少し賢く生れてゐましたから、頭から拒(は)ねつけないで、金二駄ならば相談に乗つてもいいと答へたのです。金二駄と言へば一万二千両ですから、小藩の京極家では指をくはへて引つ込むよりほかには仕方があるまいといふ腹なのでした。 |
北原白秋 訳 |
【まざあ・ぐうす イギリス伝承童謡 五月のみつばち】 五月のみつばちゃ、 乾草《ほしくさ》一駄《いちだ》よ。 六月のみつばちゃ、 七月のみつばちゃ、 |
中里介山 |
【大菩薩峠 新月の巻】 −−果して、ポカポカとやって来たのは、五六頭だての駄賃馬でありました。 先頭に紙幟(かみのぼり)を押立て、一頭に二つずつ、大きな樽(たる)をくっつけて都合六駄ばかり−−それを馬子と附添がついて米友の前へ通りかかりましたのを見かけて、米友が、 |
佐々木味津三 |
【旗本退屈男 第五話 三河に現れた退屈男】 いかな大藩の御大名方もこの街道を通りまする析、御陣屋の御門が閉まっておりさえすれば、通行勝手、半分なりとも御門が開いておりましたならば、御挨拶のしるしといたして御音物(ごいんもつ)を島台に一荷、もしも御殿様が御門の前にでもお出ましでござりましたら、馬に一駄の御貢物(おみつぎもの)を贈らねばならぬしきたりじゃそうにござります。 |