作 家
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作 品
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淡島寒月 |
【亡び行く江戸趣味】 明治時代のさる小説家が生半可(なまはんか)で、彼の小説中に質屋の倉庫に提灯を持って入ったと書いて識者の笑いを招いた事もある。越えて明治十年頃と思うが、始めて洋燈(ランプ)が移入された当時の洋燈は、パリーだとか倫敦辺(ロンドンあたり)で出来た舶来品で、割合に明(あかる)いものであったが、困ることには「ほや」などが壊(こわ)れても、部分的な破損を補う事が不可能で、全部新規に買入れねばならない不便があった。石油なども口を封蝋(ふうろう)で缶(かん)してある大きな罎入(かめいり)を一缶(ひとかん)ずつ購(もと)めねばならなかった。 |
芥川龍之介 |
【馬の脚】 しかももう今は南京虫に二度と螫(さ)される心配はない。それは××胡同(ことう)の社宅の居間(いま)に蝙蝠印(こうもりじるし)の除虫菊(じょちゅうぎく)が二缶(ふたかん)、ちゃんと具えつけてあるからである。 |
押川春浪 |
【本州横断 癇癪徒歩旅行】 「焼酎でも結構結構」と、焼酎五、六合に胡瓜(きゅうり)の漬物を出して貰い、まだ一缶残っておった牛肉の缶詰を切って、上戸(じょうご)は焼酎をグビリグビリ、下戸(げこ)は仕方がないので、牛肉ムシャムシャ、胡瓜パクパク。 |
須川邦彦 |
【無人島に生きる十六人】 それで龍睡丸(りゅうすいまる)の乗組員も、たけりくるう波を、油でしずめようとした。 石油缶(かん)に、海がめやふかの油を入れ、小さなあなをいくつかあけて、二缶も三缶も、海に投げこんだ。しかし、岩にあたってあれくるい、まきあがる磯(いそ)の大波には、油のききめは、まったくなかった。 |