作 家
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作 品
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石川啄木 |
【葉書】 茶は一斤半として九十錢、新聞は郵税を入れて五十錢、それを差引いた殘餘の一圓と外に炭、石油も學校のを勝手に使ひ、家賃は出さぬと來てるから、校長はどうしても月五圓宛(づゝ)徳(とく)をして居る。 |
竹久夢二 |
【砂がき】 そんな事で、それから一年後か二年後だつたか、その頃小石川の原町にあつた小林鐘吉氏の研究所へ通つたが、何でも三日ほど通つて、ゴムのかはりに使ふパンを三斤ほど食つただけでよしてしまつた。やはり多勢の人中で一所にわいわいやるのは私に性に合はなかつたらしい。 |
葉山嘉 |
【樹海に生くる人々】 「この野郎、鼻持ちのならねえ野郎だ」と思いながら、波田は、シチャードへ、ミルク一罐と、卵十個分けてもらえないかと交渉した。 「ボーイ長にやるんだって、ああ、いいとも、持って行きな、そうかい、じゃあパンを一斤ばかり持ってって、牛乳と卵とで湿してやるといいや、ほら、ここに砂糖と、……それだけでいいかい、そしてどうだね、ボーイ長の容態は」シチャードは親切に倉庫から、それらのものを笊(ざる)へ出してくれた。 |
宮本百合子 |
【打あけ話】 雪じるしのバタが半ポンドについて十銭あがりました。牛肉も相すみませんが今年から一斤について十銭あがります。パン値上げお知らせ。白菜は一株について四十銭ですよ。どうぞそのおつもりでお香物もあがって下さい。 私が初めて世帯をもったのは、丁度ヨーロッパ大戦が終ってほどない時代であった。初めて女房の心持で、白砂糖を買ったら、何でも一斤五十銭の上した。私はおどろいて、一体どうして暮して行くのだろうかと考え考え、小っぽけな砂糖袋をもって、お七で有名な吉祥寺の前の春の通りを歩いて行ったことを覚えている。その頃は刺身が一人前五十銭であった。 |
金子ふみ子 |
【父】 私立学校へ通い始めて間もなく盆が来た。おっ師匠さんは子どもに、白砂糖を二斤中元に持って来いといいつけた。おそらくこれがおっ師匠さんの受ける唯一の報酬だったのだろう。 |
大杉栄 |
【日本脱出記】 子供のことはそれできまった。あとは僕の顔がちょっとも見えないことの口実だ。それは、こんどもまた、病気ということにした。そして多少それを本当らしく見せるために、毎朝氷を一斤ずつ買うことにした。 「それも尾行を使いにやるんですね。」 そんなことにはごく如才のないMがそう発案して、一人でにこにこしていた。 |
岡本綺堂 |
【中国怪奇小説集 閲微草堂筆記(清)】 「おまえは何のために火薬を買ったのだ」 「鳥を捕るためでございます」 「雀ぐらいを撃つ弾薬(たまぐすり)ならば幾らもいる筈はない。おまえは何で二、三十斤(きん)の火薬を買ったのだ」 「一度に買い込んで、貯えて置こうと思ったのでございます」 「おまえは火薬を買ってから、まだひと月にもならない。多く費したとしても、一斤か二斤に過ぎない筈だが、残りの薬はどこに貯えてある」 これには彼も行き詰まって、とうとう白状した。 |