作 家
|
作 品
|
岡本かの子 |
【異国食餌抄】 ルクサンブルグ公園にある上院の正門の筋向(すじむか)いにあって、議場の討論に胃腑(いのふ)を空(から)にした上院議員の連中が自動車に乗る面倒もなく直(す)ぐ駈(か)けつけることの出来(でき)るレストラン・フォワイヨ、マデレンのくろずんだ巨大な寺院(じいん)を背景として一日中自動車の洪水(こうずい)が渦巻(うずま)いているプラス・ド・マデレンの一隅(かたすみ)にクラシックな品位を保って慎(つつ)ましく存在するレストラン・ラルウ、そこから程(ほど)遠くないグラン・ブールヴァルの裏にある魚料理で名を売っているレストラン・プルニエール、セーヌ河を距(へだ)ててノートルダムの尖塔(せんとう)の見える鴨(かも)料理のツールダルジャン等一流の料理屋から、テーブルの脚(あし)が妙にガタつき縁(ふち)のかけたちぐはぐの皿に曲(まが)ったフォークで一食五フラン(約四十銭)ぐらいの安料理を食べさせる場末(ばすえ)のレストラントまで数えたてたら、巴里(パリ)のレストラントは一体(いったい)何千軒あるか判(わか)らない。 |
大杉栄 |
【獄中消息】 堀保子宛・明治四十二年六月十七日 ちょうど一年になる。早いと言えばずいぶん早くもあるが、また遅いと言えばずいぶん遅くもある。妙なものだ。 窓ガラスに映る痩せこけた土色の異形の姿を見ては、自分ながら多少驚かれもするが、さりとてどこと言ってからだに異状があるのでもない。一食一合七勺の飯を一粒も残さず平らげて、もう一杯欲しいなあと思っているくらいだ。要するに少しは衰弱もしたろうけれど、まず依然たる頑健児と言ってよかろう。 |
横光利一 |
【神馬】 (出て歩きたいな)と思ふと、両側の柱から垂らして口もとで結んだ縄を噛み切りたくなつて来た。と何日か二三度逃げ出た時、三四日の間一食もくれなかつた苦痛を思ひ出した。 |
芥川龍之介 |
【十円札】 当時の堀川保吉はいつも金に困っていた。英吉利(イギリス)語を教える報酬(ほうしゅう)は僅かに月額六十円である。片手間(かたてま)に書いている小説は「中央公論(ちゅうおうこうろん)」に載った時さえ、九十銭以上になったことはない。もっとも一月(ひとつき)五円の間代(まだい)に一食五十銭の食料の払いはそれだけでも確かに間(ま)に合って行った。のみならず彼の洒落(しゃ)れるよりもむしろ己惚(うぬぼ)れるのを愛していたことは、−−少くともその経済的意味を重んじていたことは事実である。しかし本を読まなければならぬ。埃及(エジプト)の煙草(たばこ)も吸わなければならぬ。音楽会の椅子(いす)にも坐らなければならぬ。友だちの顔も見なければならぬ。友だち以外の女人(にょにん)の顔も、−−とにかく一週に一度ずつは必ず東京へ行(ゆ)かなければならぬ。 |