作 家
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作 品
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太宰治 |
【葉】 撰(えら)ばれてあることの 恍惚(こうこつ)と不安と 二つわれにあり ヴェルレエヌ 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目(しまめ)が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 |
太宰治 |
【ロマネスク】 惣助はわが子の無事である姿を見て、これは、これは、と言った。困ったとも言えなかったし、よかったとも言えなかった。母者人はそんなに取り乱していなかった。太郎を抱きあげ、蕨(わらび)取りの娘の手籠には太郎のかわりに手拭地を一反(たん)いれてやって、それから土間へ大きな盥(たらい)を持ち出しお湯をなみなみといれ、太郎のからだを静かに洗った。 |
田山花袋 |
【ネギ一束】 それに養蚕(かいこ)の手伝い、雨の日の桑つみ、荷車のあと押し、労働という労働はせぬものとてはなかった。またある時は、機(はた)の工場に雇われて、一日に一反半の高機織り、鼻唄を唄う元気さえなくなった。筬(おさ)をしめる腕は、自分のか他人のかわからぬくらいにつかれ果てることもあった。 |
長谷川時雨 |
【きもの】 しかも、寸法も、男は何寸、女は何寸と定法(じやうはふ)があり、大概それで誰にも着られる。子供は、何歳までが四ツ身、その下が三ツ身、その下が赤児用の一ツ身で、四ツ身は何尺の裂地が入用、一匹の布(成人用の四反が一機(ひとはた)で、二反つながつてゐるのが一匹)で四ツ身は三ツとれる、三ツ身は半反で出来る、一ツ身は一反の三分の一の裂れ地で出来ると教へられる。 |
島崎藤村 |
【夜明け前 第二部 下】 これはその年の二月に伊那南殿村の稲葉家から届いた吉辰申し合わせの書付の中の文句である。お民はそれを先方から望まれるとおりにした上、すでに結納(ゆいのう)のしるしまでも受け取ってある。それは帯地一巻持参したいところであるが、間に合いかねるからと言って、白無垢(しろむく)一反、それに酒の差樽(さしだる)一荷(か)を祝って来てある。 |